2011.02.12

慌ただしい日々

先週の日曜日からブログに書きたいことは山とあったのだが、結局忙しさにかまけて週一回の更新に。なんとか明日も書ければ多少はこの一週間感じていたことを話せるのかもしれない。

6日の日曜日に結構いろいろな場所を回っていた。まずは朝MCDNのイベントである、東博でのExperiaによる展示ガイドの実証実験イベントに参加してみた。まあ、これは研究の領域上どうしても行かない訳にはいかないわけで。結論から言うと、研究対象としては興味が持てても、個人的に必要かというと不要だということ。テクノロジーの更新によってどんなに端末が小型化しても、多機能化しても、ガジェットの「見る」という行為が決定的に鑑賞を阻害するという感覚は、2005年の『ユビキタス・コミュニケータ』の実証実験の時からあまり変わらない。これは『ドラゴンボール』や『電脳コイル』などのアニメ見すぎかという話かもしれんが、眼鏡の縁に画像が投影されるようなタイプにならない限りは、視覚情報はむしろ邪魔なのではないだろうか。これは、一個人としての印象であって、研究者としての印象とは少しずれているけれども。なので、結構椅子に座ってアプリだけを見ているという実証実験の参加者を目にした。

その後、スケジュール的にこの日しかないということでメディア芸術祭へ。ところが、もう見るなんて感じではなく、空いているもののみを体験するに留まる。かなり評判のよかったクワクボさんの作品などは、行列で見るどころの話ではなかったのである。ゆえに個々の作品だとか全体の傾向がどうだとかは全然言えなくて、ただ感じたのは、内容を問う水準とは完全に別レベルで、無料で休日であったとしても、「メディア芸術」なる胡散臭いジャンルにこれだけ人がくるという事実自体は、この手の業界の人にもまだやりようがあるという感覚を抱かせたのではないか?と同時に、何より継続が大切だとういことが再認識できた。この辺は、イベントもアーティストも研究者も大して変わらないものだなと。

最後に『Na+』というタブロイド紙の創刊パーティに参加する。僕も短い原稿を投稿していることもあって、これはまあお付き合いで参加。この寒さなので一週間ずれなくて良かった。このあとどのくらいの頻度で出版できるかにもよるけど、現時点でこのタブロイド紙を評価するとすればその資料性だと思う。寄稿者の数がかなり多く、僕は別としても寄稿者の半分ぐらいは今後のアートシーンで活躍が見込まれると思うので、5年後、10年後に、この手のアーティストや研究者が一堂に会するような機会があったということが確認できる資料が残ることは決して悪くないと思う。僕は、創刊号の「芸術生産とナショナリズム」というテーマ自体には個人的にはさほどアクチュアリティを感じていなかったので、創刊号の内容の評価は今後のトピックの建てかたにも大分依存するのではないのかな。何人か懐かしい顔にも会えたし、人が集まる機会を作ってくれた点には、CAMPの井上さんにも、女子美の皆さんにも感謝。

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