2011.02.13

I can’t tell who I am or who i want to be

もう一つ先週漠然と考えていたのが、このこと。別に流石にもう30代なので、本気で自分探ししていますというのとも少し違うのかもしれないけど。

まず、比較的分かり易い水準で言うと、自分が何の研究者なのか分からないという問題がある。自己紹介をするとき、「○○ではない」というのは分かるんだが、「○○である」とは言いづらい。少なくとも社会学者であるとは言えない(自称として)。かといって、美術館研究者と紹介される(他称として)とき、それは違うなあと自分では思っている。文章を書いたり、人前に出るときどうしても何者かを短く説明する必要があるんだが何とも居心地の悪い気分を毎度感じてしまう。

さらに言うと、あまり自分が研究者であるという自覚もないのが厄介である。それは、研究者の集まりで「私は現場の人ですから」と言い、現場の集まりでは「私は研究者ですから」といって逃げを打ってしまうという意味ではない。もちろん学会では研究者として発言しているし、研究という文脈において批判も引き受けるし、研究自体は研究として誠実に向かい合っているつもりんなんだけれども、じゃあ普段生活しているときに自分のアイデンティティのなかで研究者が一番大きな割合を占めているかというとあまりそうは感じないのだな。

これらの点で先週二回違和感を感じたことがあった。最近twitter上で知り合った留学中の同世代の研究者がいて、彼のTLを見ていると皮肉とかじゃなく誠実に「社会学」と向き合っていて、日本の社会学の問題点をきちっと眼差しているんだが、僕はどうすればそういう情熱を持てるかなと思っていたことがある。僕は無意識に今まで、「○○ではない」学問を縫い合わせて学術的な背景を作ってきたようなところがあって、万が一大成したとしても、何か無形文化財的な扱いになるんではないかなみたいなことを感じていたわけである。

もう一点は結婚式の時に古くからの友人と話をしていて、消息不明の友人の話をしていて一瞬噛み合わなかったこと。彼は、昔から僕よりはずっと研究者に向いていると思っていたし実際成功されているんだが、彼女の話をしているときに視点が研究者ベースにあって、その部分を僕がうまく斟酌できなかったことがあって。やはり、僕よりも彼の方が、一個人のアイデンティティとして研究者が大きな割合を占めているのだなと。僕は普段は、特に結婚式の二次会のような場では、完全にただの30代の男性でしかないので、自分が研究をしていることも、自分が研究者と見なされるという感覚も欠落する傾向がある。これは、寧ろもう気を付けてもいい年齢になっているのかもしれない。もしくは、普通は結構面倒くさくなるようなスイッチの切り替えをかなり細かくコントロールするタイプの人間なのかもしれないなと。

まあ、ただ別にこれは悩んでいるのではなくて、結構自分でも昔から自分に対して不思議だなと感じる部分ではあったので、一度言語化してみただけである。

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