2011.05.07

いっこく堂

のように、時間がずれてしまった日記の更新。もう連休も終わるというのに、始まる前の週末のことについて少し書いておこうかと思っている。

実際には週末というよりは連休に入る週の月、火と京都に滞在していた。目的は、国立民族学博物館での資料の収集。従来であれば、新宿の国立科学博物館分館で見られた雑誌群なんだが、図書の移行手続きに入っていて段ボール詰めされ今後1年間は見られませんと言われ、あせって出張を申請し連休前に漸くまとまって見る時間ができた。多分、あの手の雑誌を全数調査するような人って、年に一人もいないんじゃないかと思うけど、首都圏で見られるの科博だけなのでもう少し配慮があってもいいよなあと一瞬思う。

僕は父の実家が京都なもので、関西に予定があるときはよほど遠い場所で予定がない限りは、京都を基地に動くことにしている。祖父が亡くなってしまったので今京都には泊まれる家はないのだが、大体泊まるホテルも一緒で勝手知ったる町になっている。そのついでで、サラリーマン時代に仲の良かった女友達と1年半ぶりぐらいに再開。元気そうで良かったなあとしみじみ。僕は僕で相当人生を回り道していると思うんだが、彼女は彼女で20代の頃に描いていたのとは大分違う人生を歩んでいるんだろうなあと。twitterやfacebookで幾人かとはつながっているんだけれども、もう半数ぐらいは同期も会社を移っているのだろう。

で、肝心の業務は何とか無事に必要箇所のコピーを終え(多分英雑誌10年分から300頁分ぐらいか)、とりあえず博論に関する大規模な雑誌の収集はもうないはず。あとはとにかく時間さえ割けばゴールにはたどり着けるはず。と、自分に暗示をかけてみる。また、明らかに僕の研究には関係するのだけれども、現在民博では「ウメサオタダオ」展が開催されている。何とか昼休みの時間を利用して展覧会を散策。研究者の展覧会であれだけのスペースを埋められるのは素朴にすごいなと。とか、京大に入る前(正確には現在の学制だと入っているのかもしれないが)から、今西錦司らと調査に向かっているのとかに興奮を覚えてしまった。

僕の場合は文化人類学者というよりは、民博の設立期以降の博物館論者として梅棹さんを読むわけだけれども、明治の草創期の官僚を除けば、日本の博物館論者では最も大きなデザイン感覚を持っていたんだと思う。もちろん、論文として読むと脆い部分はあるのだけれども、第二次世界大戦以降の日本の「博物館学」が比較的、博物館に自閉した形で文脈構築に向かったなかで、彼は少なくとも、社会や文化といったもののダイナミズムのなかの一つのノードとして機能する博物館の位置づけを意識していたのだろうとは思う。二階階段付近の梅棹忠夫と対談した人たちのリストも少し面白かった。世代的には社会学では見田先生はあるかなと思いながら眺めていたら、当然のように発見。次に眼に入ったのは上野先生。そして予想外だったのが、僕の師でもある佐藤健二さん。いったい、どこで対談したのだろうと興味津々である。

ということで、ほとんど二週間前の日記を記すわけである。さてさて、連休についてはいつ話せるだろうか…。蛇足だけれども、4月の末は親しい友人の多くと久しぶりに時間が過ごせて、大分リフレッシュできた。

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