2011.06.18

ミュージアムと劇場

この慌ただしい一月も漸く山場を越えようとしている。と思ったら、緊張感が緩んだのかひどい風邪に。今日はあきらめて家で静養するので、結果的に漸くブログを書く時間ができた。

さて、先週末を振り返る。先週末は僕がメインで参加している全日本博物館学会と日本マス・コミュニケーション学会が完全に重なっていた。まあ学会シーズンなので仕方ないにしても、前の週末はかなりの学会が重なっていたようだ。11日土曜日は、まず前者へ。自分でもびっくりしたが、昨年の日本マス・コミュニケーション学会での優秀論文賞に加えて、今年は博物館学会から学会奨励賞を頂けるとの連絡があったからだ。前者は、ある意味ではメディア研究における新たなフィールドと枠組みを設定した点においては評価される可能性はあったのかなと今振り返れば思うが、後者は日本の博物館学では見向きもされない領域だと思っていたのでかなりびっくりした。僕の評価云々は別として、マスコミ学会においても、博物館学会においてもそれなりに変な論文で評価して頂いていると思うので、僕の論文や評価を見て、これマスコミ学会でOKなのかなとか、博物館学会でOKなのかなと思っている僕よりも若い世代の方が、発表や投稿がしやすい状況になってくれるのであれば、それはとっても光栄だし僕にとっては幸せなことである。

12日は、早稲田大学のマスコミ学会で、東京藝術大学の毛利嘉孝先生、関西大学の村田麻里子先生と3人で、「メディアとしてのミュージアム」と銘打ったWSを開催した。WS自体が学生よりは先生による大人のゼミ、さらに60周年記念大会の関係上いつもの倍の3時間というシチュエーションだったので、大いに緊張した。助手程度でWSで30分も一人で発表することにはならんと思っていたし。一緒に企画させて頂いた村田さんとは果たして何人来るのかなと話していたのだが、結果的には30名以上の盛況な会となった。議論全体は、村田さんの「メディアのなかのミュージアム≒ミュージアム文化」に引っ張られた気がする。というか、やはり「ミュージアムがメディアである」という名辞からは、ミュージアムに引っ張られるなと感じた。僕の場合には、あくまで「メディアと空間」の関係性を議論するための重要なフィールドの一つに過ぎないのだという感覚があまり伝えられなかったなと。どちらかというと僕は守るのが得意なタイプなんだけれども、高らかにメディア研究における「空間論」の新たな道筋を示唆するという蛮勇を振るった割には、食いつきが悪かった。村田さんのテンポの良い発表、毛利さんの安定した司会には、見習うべきところ多々。WSの前後には、名刺交換の面識しかない東洋英和女学院大学の岡井さんからもメッセージを頂いたりした。こうやって、自分より目上の研究者の方に成長する場を与えて頂いていることに感謝の気持ちでいっぱいになる。改めて、聴衆の方も含め皆さんありがとうございました。

これで休めれば良かったのだが、14日は早稲田の本務部局で『大震災と芸術文化』というシンポジウムを開催する運びに。実はこの日既に微熱と喉の腫れが発症。大まかには、水戸芸から盛岡劇場まで被災地の舞台芸術関係者の方を招いて、現状と今後の可能性を広く議論する場となった。来場者も100名を大幅に越え、そこそこ準備は大変だったがやってよかったなと。劇場の場合は、今回の震災で多くが一時避難の場所になっており、公共劇場の「公共」性を如何なく発揮することになった。実は、ミュージアムの最新のものは当然免震技術が高く一定の安全性が確保されている上、広場に立地されていることが多く、このような地震の際には避難所となる可能性はありうる。どちらかというと、舞台芸術、視覚芸術の文脈においてその社会性や公共性が議論されてきた両者だけれども、圧倒的に一般的な意味での「公共」と地続きになっていることが可視化されたのではないかと思う。パネリストの方は、それぞれ真摯で、少し失礼な言い回しになるかもしれないけれども、すごく敬意を持ったという意味で率直に話して頂いて良かったなと。フロアからの発言に関しては、2,3気になるものがあったけれども、フォーラム全体の印象を変えるようなものではなかったと思う。

というように、どっぷりと公共文化施設について考えさせられることになったこの10日間ぐらいであった。今日は、完全に熱でグロッキー。これからケーブルテレビの銀河英雄伝説の再放送でも見ながらのんびりすることにしよう。来週もまた、AITでレクチャー。明日は働かねばなるまい。

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