2011.11.06

全てがなぎ倒された日

今回の風邪は本当にひどかった。ここのところの一週間は何か本当にダメな一週間だった。引き金になったのは多分「風邪」だとは思うんだけれども、先週のちょっとしたニュースやらなんやらで、心にたまっていた膿みを全部吐き出す感じ。

ここのところボーっと考えていたことがあって、それは日本で若手研究者が研究を続けていくことの意味みたいなことで。博士課程に進学したあたりから、日本で研究者をすることって「進むも地獄、引くも地獄」的な側面があることは承知していたのだけれども、この一週間ぐらいの個人的な出来事などで一層暗澹たる気分に。一つは「修士課程論文いらなくなるかも問題」だけれども、そもそもこの命題にがっかりだし、情報リークするにしても日経ももう少し詳細な情報出して下さいよって感じ。僕は基本的にはどのような学科でも修士論文あった方が、研究云々以前に人生にとって得難い経験になるんじゃないかとは思っているんだけれども、それでも一律いらなくなるわけではないだろうから、例えばせめてどのような学科や、どのような課程に対して適応されるのかの見込みまで一定程度報道して欲しかったなと。もう一つは、ある大学図書館からの雑誌閲覧ダメ問題で、もう人文系の研究者で雑誌の閲覧とか普通なんだから、一般の図書館ならいざ知らず、一方的に大学図書館が相手に対して通告することないでしょという。自分の先輩や指導教員を見ていて、日本の研究環境がいかに厳しいかは承知しているので、そのなかでまずは頑張ろうと思っているから研究を続けているのに、その意欲まで失わせるような改悪を続けないでほしい。別に、新規参入していく僕としては別に今の環境ならとりあえず頑張るので、その意欲すら減退させられるのは耐えられないな…。とはいえ、どうやら、また研究続行環境を与えられそうなので、どうにかリフレッシュして頑張ります。

もう一点、研究者のアイデンティティ問題。これは、僕以前にも書いた気がするんだけれども、こないだtwitterをボーっと眺めていたらまた社会学を中心とした方々が、社会学の作法的な話をしていて、まあある人はあるのねえと再認識。僕は、芸術系の研究としても、社会学系の研究としても限界領域で、芸術系に行けば「メディア研究の人でしょ」、社会学系に行けば「美術館論の人でしょ」的な門外漢扱いを受けるのにはとうになれてしまったので、ほとんど自分が何の研究者なのかに関心が持てなくなっている。正確には、博士上がって学会に出始めた時期ぐらいに、この手のことでナイーブにそこそこ傷ついたりしたので、学問の領域ベースで人間関係を作ることに対する諦念を持っている。幸い、とりあえず自分なりに亀の歩みで進むなかで、フィルターなく研究に関心を持って頂いた研究者の先輩や同輩のおかげで辛うじて頑張れているというところだろうか。特に、社会学ってタイトル的な問題でそこそこマスメディアに重宝されるところあるので、それなりに大変なところもあるんだろうなと。

ということでかなりのネガティブ日記になってしまったけれども、基本的には体調に気分が影響されることを再確認。また気分を一新して、色々なこと一つずつ向き合っていくつもりです。来週職場が忙しいので、そのなかでどれだけ自分の論文がかけるか…。そろそろ出張講義の準備もあるしなあ。

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