2012.01.13

CSと私

今朝ML、twitter等を通じて、この10年『Cultural Typhoon』を続けてきた実行委員会がどうやら学会へと衣替えをするという情報が相次いで届いた。今朝は、茶化すようなtweetをしてしまったが、世代的にはやはり良かれ悪しかれCultural Studiesの影響はあったのだろうなと思う。

僕は「カルスタ」という略称は基本的にはあまり好きではなくて、略称としてはいつも「CS」とアルファベットを使うわけだけれども、いわゆるCSが日本で流行していた1990年代後半、僕はちょうど3年生の専門課程に上がり社会学の勉強を始めた。元々どちらかというと、美術史であるとか表象文化論に近い関心だった僕が、かなり急ハンドルで社会学を選択したせいで、当時知っていた社会学者といったら見田宗介先生や、吉見俊哉さんぐらいのものだった。改めて思い返せばひどい偏りである。そんなときに社会学隣接領域で「文化」研究ができるとか言うものだから、とりあえず毛利・上野の『カルチュラル・スタディーズ入門』を通読した記憶がある。これも今思えば、毛利・上野経由で最初にCSに触れるのか、吉見先生経由でCSに触れるのかは大分違ったろうなとも思うし、原則当時この二択しかなかったんだよなあ・・・と。

まあ、僕の場合は指導教員がずっと佐藤健二さんという吉見先生と同世代の社会学者で、学術的には同じような変化の時期を経験しているので、CSに関しては、佐藤さんと吉見先生の距離感が、そのまま僕と社情研の研究生との距離感とパラレルになっていたように思う。だから、正直僕にはCSが流行していた感はあまりなくて、佐藤さんのところで当時やはり流行していた、社会構築主義や言説分析といった類いのパースペクティブに接するのと同じように、方法の一つとして咀嚼していたのだろうなと。但し、上記すべて咀嚼できたわけではない。学部から修士にかけては2,3割でも理解できていれば上出来である。

その後、留年したり、なんちゃってサラリーマンをしたり、文化資源学とかいって博物館教育の現場でインターンしたりと完全に社会学色もCS色も一度抜けたわけだけれども、再びCSを意識したのは当然イギリスに留学してから。未だに僕はスコット・ラッシュがCSの研究者と呼べるのか良く分からないのだが、少なくともロンドンではCSのメッカと見なされ、ラッシュが所長を務めるCSセンターがあるGoldsmiths Collegeに留学してから。僕はオーディエンス研究をミュージアムにどう適応できるかなと思って指導教員狙い撃ちで留学したのだけれども、何せ指導教員がデヴィッド・モーレーだったわけで、僕個人はどう思うかは別として日本で、Goldsmiths留学、モーレー師匠だったら多かれ少なかれCSの人扱いになるわけでして。実は逆に日本人でGoldsmithsに留学したため、何度かモーレーに指導教員は吉見先生かと聞かれた(苦笑)。学術的な部分は長くなるので書かないにしても、僕にとって二度目のCSとの邂逅の一番のメリットは、CSを通して東アジアの同世代の研究者とのネットワークが広がったこと。特に、Inter-Asia Cultural Studies Societyを通じて、研究の視野が広がったのは僕にとっては財産。その意味では、IACSSは毛利さんの世代が維持してきたわけで、英米圏に留学した若い研究者を流出させないための受け皿として緩やかにIACSSが維持されていることにはすごく感謝をしている。

ということで、Cultural Typhoonが今現役のみずみずしい感性を持った20代前半の院生の皆さんにとって、僕がIACSSで得たような経験を生む場になればいいよねえと思うのである。

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