2012.01.18

研究会に思ふ

先週の土曜日に、久しぶりに(というか実は初めてかもしれない)ミュージアム研究者の集う会合に足を運んでみた。土曜日は13時ぐらいまでジムに行っているので、結構ぎりぎりで会場に到着。研究会そのものを論評しても仕方がないので、そこでの議論を通じて感じていたことを幾つか気の向くままに書いておこうかなと思う。

前半は、教育学系の研究者が多いミュージアム業界らしく、かなりinformalな形で自由に議論を促すことのできる組み立てがしてあって流石だなあと思った。ただ、僕個人は、手段としての有効性は認める一方で、「学習環境をデザインすることで皆さんの想像力を引き出すんですよ」というメタメッセージ自体にある種の居心地の悪さを感じる人間なので(であればいわゆるクラスルーム的な環境で、学習して上位水準に到達することを「明示的」に義務づけられた方が従うのも降りるのも楽と思ってしまうので)、心地よいか、戸惑うかはいつも紙一重なのである。

で、前半の前後半をテーマに基づいて5,6人のピア・グループに分かれて短い議論をするのだが、最初のミュージアムにおける人材育成の議論は比較的引きながら聞いていた。全般的には現状学芸員養成課程の講師が基本的に現場の経験者で、どうしても話す内容が属人的な内容になり、「博物館学」としてのある種の普遍的な質を欠くという流れになっていたのだけれども、一番の問題である学芸員養成課程それ自体の設置数が多すぎるという問題が議論されていない。つまり、各大学が競って学芸員養成課程を持つことで、必然的に講師の数が増加する一方で、博物館学の研究者自体はさほどポストとしては存在せず、非常勤の現場の学芸員を呼ぶことで凌いでいる結果バラツキが出ざるを得ないという負のスパイラルが見落とされていると感じた。僕は学芸員資格は基本的には不要で、各専門分野で博士課程まで進んだ研究者のなかで、現場を志向する方がOJTで職務を覚えていくか、もしくは博士課程まで行った方に対してダブル・ディグリー的な形で専門職としての学芸員資格を授与できるごく少数の教育機関が存在すればいいと考えている。このような仕組みであれば、一定程度までは属人的な変数としての「学」としての質を保つことは可能なのではないだろうか。少なくとも「博物館学≒学芸員養成講座」の感覚が抜けない限り、この学問は日本ではジリ貧になる気がする。

字数的には実はこれで限界なので、幾つかどころか一つも十分には言及できていないのだけれども、他にも僕個人としては異論を抱く場面は幾つかあったのは確か。ただ、このように異論を抱くためには誰かが発言していなくてはならないわけで、そのような場を継続的に維持していること自体は素晴らしいことだと思う。若い方のために今後もますますのご発展を願うのである。

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