2012.02.26

アートのある風景、もしくは脱美術館

昨年は脱原発が流行語になっていたけれども、最近ふと「脱美術館」しながら文化財の継承をしていくことはできないのかなとボーッと考えていたりすることがある。僕はもともと施設運営論的な研究をしているのでなければ、ミュージアムが無くてもミュージアム研究はできると思っているところがあるので、おきまりの思考実験として考えてみる。

脱美術館をするために必要なこと。

1.網羅的なコレクションの目録の作成

2.個々の収蔵品のトレイサビリティーの向上

3.文化財保護法を中心とした関連法の規制緩和

4.学芸員概念の価値転換

5.試験としての美術館特区

ぐらいでとりあえずいかがかなと。僕の発想はシンプルで、歴史博物館に収蔵されるコレクションは百歩譲って市民全体の財産として残すことには同意できても、美術品は基本的には嗜好品である以上のことの総意を実現するのは現実問題としてはほとんど無理だろうなあということ。よって、保存できるものはしたほうがよろしいのはいいとしても、なるべく受益者負担でやりたい(僕も受益者として払いたい)。だったら、一括で徴収された税金で美術館を維持するよりは(これは私立であれば一括で徴収された株主や消費者の資金でととりあえずは言ってみよう)、基礎分として徴収される税金と、受益者個人が選択して払える公共サービスに分けて美術館に払いましょうよと。まあここまでは比較的アメリカ式とも言えるのだけれども、僕の場合はさらに、例えば市立美術館であれば、一定量を市民の自宅で収蔵、展示してみたらどうだろうということ。これにはメリットとしてはまず二点ある。

1.死蔵品の公開

恐らくどこの美術館もコレクションの90%ぐらいは展示されていないはずなので、もしも展示されないのであれば、家族単位でも展示できた方が、収蔵品にとっては幸せなのではないか?

2.美術館単体としては固定費の減少

美術館の日常的な業務のなかで基本的に全く利益が上がらないのが収蔵の機能だが、これをボランタリーな外部に委託してしまうという形になる。さらに言えば、そもそも美術館の収蔵スペースは大抵既に限界が見えているので、物理的に何らかのスペースを探さないと無理。

だから、まず美術館特区的な場を作って実験的に地域住民単位で収蔵品の一部の収蔵、展示を行ってみる。とはいえ、ただ貸してしまうとどこ行ったか分からなくなるので、そのセンター機能を担う美術館では、限りなく完全に近いアーカイブを作成しましょうと。そして、アーカイブと連動させて、一番簡単なのはICタグ的なもの(GPSもあれば尚可)で個々の作品のトレイサビリティーをあげて紛失、盗難の可能性を低減させましょうと。で、もちろん国宝、重文クラスは美術館で展示されてしまうし、それはそれでいいと思うので残りのモノは希望する市民の自宅でも展示できるように関係法律も緩和してしまいましょうという話です。これは、美術館で入場料という形で受益者負担するんじゃなくて、その環境を維持したいのであれば、収蔵の段階からしたい人に受益者負担してもらいましょうと(恐らくこれ現状の美術館の寄託制度の逆ベクトルですね)。その代わり、その作品は一定期間ご自宅で鑑賞して結構ですよという話。特区というか、そもそも市名を変えて来年度から「美術館市」になります的な発想。年に何度か一般開放期間を設けて、皆さんのご自宅でコレクションを拝見してスタンプラリーする的な。そんなのあったら楽しそうだなと思うわけです。現代版のご開帳とでもいいましょうか。

これに対する批判はいくらでもあるわけですが、その一つとして「専門職、専門的な空間でもない場所において破損や、退色等起きたらどうするのですか?」というもの。これに関しては、それはそれで仕方ないんじゃないですかと僕は思っている。それは、責任を放棄しているのではなくて、そもそも文化財であろうと「モノ」には寿命があるということ。人のメタファーで言えば、美術品が永遠に保存されなくてはいけないのは、あなたは無形文化財なので身体的には厳しくても人工的に生き続けさせますということ。美術館という場所は、僕はある種の病院みたいなものであって、もちろん人と同じようにかけがえのない命をいずれももったコレクションが訪れるのだけれども、あるモノには適切な治療と活躍の場を与えてさらに生き生きとさせ、もう終末期のモノはホスピスのように穏やかに看取ってあげる場所だと思っている。だとすれば、もう穏やかに逝きたいモノは必ずしも冷たい病室(収蔵庫)で死にたい(作品としては死蔵されることで忘れ去られることを意味する)わけではなくて、きっちりと愛してくれる人に看取られて逝きたいのではないか?それをその絵画なり、彫刻なりを好きな市民のご自宅で迎えてもらいたい。そのための美術館特区である。

こういうと次の批判は「こんなメタファーで語れるか!その線引きはヒトのようには上手くできない」と。これに対しては、二つ思うことがある。そもそも私たちはこのような線引きをしながら文化財と過ごしてきたのではないか。ダヴィンチやフェルメールの作品が発掘されると大ニュースになるのは、そのような選別をへてほとんど数が減ったからである(元々寡作な作家なら尚更)。誕生し、成長し、永遠の眠りを迎える循環はモノの文化の底流にも存在していると思う。さらにもう一点言えば、学芸員とはそもそもそのための専門職である。美術館では日々コレクションの選定を行っているが、収蔵の営みは常に収蔵しないものの選択の営みでもある。この選択をできる専門職として私たちは学芸員を信頼し、未だに憧れの職業として見ているのではないか?モノに社会的生があるすれば、学芸員はモノの医者でもある。いや、ここでの文脈に沿えば看取る人の方が正しいかもしれない。

さてさて、なんでこんなことをボーッと長々と考えてしまったのだか。多分その理由の一つは、現実逃避なんだろうなと。ただ一美術館愛好者としては、僕はいつも美術館を歩きながら、これから成長していく作品、今(もしくは未だに)壮年期の作品、そしてこれからは忘れられていくのかもしれない作品のグラデーションを感じることに一つの楽しみを見いだしているのは確かである。

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