2012.05.20

写真づく

ということで、先週は漸く少し時間ができた(というかむしろ外に出る用事が多くて、折角出かけるのでもったいないと思い)ので、美術館に二つほど足を運ぶ。どういうわけか、先週、今週と写真展が多かったので、そちらについてなど。

最初に行ったのは写真美術館で、川内倫子の展覧会。僕が学部後半か修士ぐらいから評価されてきた写真家のはずで、写真集を2冊持っている(一つは誕生日プレゼントとして頂きました)。結論から言うと、あまり良くなかった。もう一言いうと、写真が良くなかったのかそれ自体が判断できない展覧会だったというのがより正確かも。比較的大きなサイズの作品が多かったのですけれども、写真美術館て元々さほど大きな展示スペースではないので、ギュッギュッと詰まってる感が強く一枚一枚は見られない感じだった。それも展示の意図なのかもしれませんけど。後もう一点イラッとしたのは、最後の展示室で展示室の両側に大きめの映像を投写しているのだけれども、丁度それを見るベストポジションに台型の展示が設置されているのでゆっくり見られないのですよ。おじさんは、最初はこれ映像が投写されているベンチかと思ったぐらいですから。前室が完全なビデオ作品で椅子があるので疲れないでしょう的な思惑があるのかもしれないけれども、僕はビデオは比較的地べたに座ってでも見るタイプなので、あの部屋の大きさだったらもう少しゆっくりみる環境がああってもいいのかもとは感じた。

もう一つは東京都現代美術館のトーマス・デマンド。こちらは、あの手のカチッとした写真がお好きであればコスト・タイムパフォーマンスとても良いです。値段も一般の企画展に比べて安いし、あまり時間もかからない割には、満足度は高いというか。ある意味吉野家的な展覧会。この展覧会見ながら考えていたのは、展覧会の満足度指標について。一般的には、あるサービスに対する満足度っていうのは、提供されたサービスの質に対する価格で判断しているんだけれども、展覧会などは例えば映画と比較されたりするんだよね。この場合、映画は2時間で1800円なのに対して、1時間程度の展覧会に対して1500円なのは高いなと敬遠されることがしばしばあるわけである。このとき評価の文脈は単位時間に対して払う料金にずれていて、ここら辺に違和感を感じる学芸員の方いらっしゃるんだろなとは思うわけです。でも、逆に僕は見る時刻をサービスの提供側に指定され、なおかつサービスを受ける時間まで指定されるという意味では、すごく映画って傲慢なビジネスだと思っているわけです。この点、好きな時にいって自分のペースで回れる展覧会という娯楽は圧倒的に優位性があると思う。その割には人は入らないというのが何とも。

この問題の一つは、やっぱりミュージアムが社会教育施設然としていなくてはいけないからで、まあどうみたって視覚的な見世物の文脈で発達してきたんだから、そんなプライドとかいらんと思うのだけれどもねえ。ジブリ上等的な。

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