2012.06.12

AAFに思ふ

この手のタイトル定例化してきた感があるが、自身のブログのタイトル考えるのに10分悩んだりするのは無駄なのでとりあえずこれで。5月からほぼ一月毎週末に続けてきたAAF学校2012が先週の日曜日で終わった。僕は、事務局から声をかけて頂いて、プランニングの段階から参加することができた。

僕自身も関心のある内容だったので、勉強になったなあと。僕自身のミッションに関しては、まあ期待値程度の役割は果たせたんではないかなあと思う。僕は一応今回「社会学者」って書かれてしまったこともあり、比較的研究者で社会学よりの立場から話をさせて頂いたつもり。イギリスには「Museum & Society」という、日本語だと「ミュージアム社会学会」とかになってしまいそうなJournalがあるけれども、いずれ「アーカイヴズ社会学会」とかできるんだろうかとかボーッと感じていた。正直、それなりにシリアスに研究の内容に関わってくることを考えさせられたのだけれども、当座研究に直接に関係しなくても気になっていたことを幾つか。

一つは、「アート」を支える民間の団体(もしくは民間資本に支えられた団体)に「より」積極的な意義を認めた方がいいだろうなということ。この数年、AITだったりこのAAFだったりに関わらせて頂く機会を見て感じたのは、人が育っているということなんだよね。結局、AITの場合には大学だと縦割りになっていたり、まだ講師としては呼びづらいステータスの人に対して気軽にレクチャーを呼びかけることができるし、AAFは圧倒的に現場との距離感が近いので、アートを支える人材育成の場としてはすごくいいなと。加えて運営のテンポが早い。良くも悪くも大学と違って規模の小さい組織(部署)なので、トップの判断で迅速にプログラムも決まっていくので、本当にやりたいことがある研究者やアーティストだったら、こういう場で好きなことやらせてもらった方が基本的に魅力的だろうなあと。

もう一点は、アーカイブズそのものの話で。これもミュージアムなみに概念の揺れがあるので正直一括りで話すことがいいとも思わないんだけれども、この5年ぐらいの印象だと、「アーカイヴズ」という用語を利用することで、一緒くたに議論しなくてもいいものを全て同じ議論の遡上に乗せてしまっている気がするし、逆に行為としてはきわめてアーカイビング的なことなのに「アーカイヴズ」という概念には乗らないことで取り上げられもしないことが増えてきている。原則としては、アーカイヴズは「公的」なものに絞って用語としては使用した方が議論の入口としてはいいと思うんだけれどもなあ。それは、法律的に「公」であるという意味ではなくて、担っている役割が「公的」なものという意味で。その上で、何をクリアすると(どのような用件を満たすと)、私的(もしくは好事家の)コレクションが、「アーカイヴズ」に転化するのかを、一緒に議論することが大切な気がする。というか、そこ僕自身の関心の一つがあるんだ。主ではないにしても。

AAFの場合もそうで、個々のイベント内部の記録それ自体は、AAFというイベント全体からするとどこまで価値があるのかは正直誰も分からないし、アサヒビールという恐らく万単位でステークホルダーがいる企業において(企業倫理上)投資すべきものなのかは怪しい。それでも、それが10年続いたことであるとか、この期間の間で参加団体が増加し、まだ描き切れていない有機的なネットワークがうごめきだした時から、ある種の質の転化があったんだろうなと思うし、それがあるから広報室の方も強くこの事業を継続し、社内でも一応のコンセンサスがとれたんだろうと思う。

いずれにせよ、今回のイベントに関しては、ただの学校ではなく何らかの形で(別にアーカイヴズという意味ではなく)残ったら便利だとは思うし、何かその点で付き合っていける部分があれば是非協力させて頂きたいなと思っている。

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