2013.06.14

未来への賭金

6月に入ってから思いのほか忙しかったのだが、急に予定が流れたので『グランドマスター』見てきた。それ以外にも少し最近考えさせられたことをチラホラと。ちなみにこの映画は一応カンフー映画として宣伝されているのですが、純粋なウォン・カーウァイらしい映画です。

(写真掲載不可でしたらご連絡下さい。削除いたします。)

まずは映画の話から。映画はもう時間決めて見に行くのが難しいので、たまに急に時間があいたらそのときに見られる映画をみることにしている。なので、カラックスは全然時間合わなかった。普通に映画らしい映画でした。あとでパンフ読んでいたら相当時間かけて撮影したのだなあと思ったけど、舞台が香港中心だったので、何か久し振りにカーウァイらしい画面だなと。地味な効果はかけていますが、普通に素の画面が綺麗。そのうえで、これをカンフー映画だとするのであれば、バストアップの長いカットが多すぎるだろういう出来。むしろ今までのカーウァイの映画らしく、一人一人の人物をじっくり描きこんでいる印象。

カーウァイの映画なら、圧倒的にフェイ・ウォン、ミシェル・リー、マギー・チャンの方が絵的にも素敵なんだけれども、最後の20分ぐらいのチャン・ツイィーは今まででも一番魅力的に映ってた。基本的には、彼女とトニー・レオン(大ファンです)の二人の人物を中心にした近代の中国の歴史映画だと思って見るのがよろしいかと。最近はなかなか本数自体見てなくて、その間に『TED』とか挟んでたので久し振りに映画らしい映画見たなという後味でした。チャン・シンの演じる役の扱いはかなりひどかったと思うけど。

で、未来への賭金と題したのは、このカーウァイの映画を見ていた頃って僕自身が学部生から社会人、大学院へと戻っていく時期で、そのときの自分と最近の周りの仕事を見ながら改めて、若い頃の賭金について少し考えていたということがあって。最初にこういうことを考え始めたのは、若者論を専門にもされている東海大学の加島さんがきっかけだったんだと思うけど、僕の世代ってかなりリスクをとる投資をしているはずなんだよね。僕はいわゆるロスト・ジェネレーション世代で、「仕事見つからないから、ここで嫌な仕事で安定するぐらいだったら、少し給料とか少なくてもバイトしながら好きなことやろう」的なことをしてしまった第一世代で、僕が関わっているアート業界、アカデミック業界のなかでも徐々に格差が拡大していっているはずなわけで。例えば、僕の大学時代の友人も30過ぎまで音楽で飯を食おうとしながら、最終的には自身のもう一つのスキルを生かした仕事に収まっていたけれども、一つ間違えばバンド貧乏になっていた可能性が高い。

一方で、「この好きなことであれば多少食えなくても」メンタリティのおかげで生き延びたのが、恐らくアート系NPOと文系の研究室。両者とも業界としては規模が縮小する可能性を持っているなかで、前者は大量の無償インターンとして、後者では院生として学会等の制度を支える労働力になっている側面がある。僕自身、20代の頃は好きだから美術館で無償のインターンもしていたし、比較的大きな展覧会などもほぼ無償で企画側の人間として働いていた。でも、これをずっとみていてどうにか手取りとは言わないでも額面月20万円ぐらいで回るシステムが出来上がっていかないのかと思っていた。もちろん、日本の場合はアートマーケット自体が小さく周縁まではお金がなかなか回って行かないし、後者も現状英米圏のような一定程度の有給の博士TAを整備していくのは難しいんだろうと思う。

なので、現状では賭金は少なくして、リスクを回避した中でやりたいことと向きあった方がいいんではなかろうかというのが僕の感覚で、それはずっと自身が関わっているSETENVやNPO法人のAITを中心とした緩やかなネットワークが近い。前者はかなりアカデミックな観点からしても敬意を持てるメンバーが仕事(プロジェクト)毎に出たり入ったりしていて、後者もまた基本的には経済的には自立した社会人が、仕事と時間をシェアしながら魅力的なアートイベントを回すようになっている。この両者に共通するのは、既存のアートマーケットや大学といった制度の内側に依存する(もしくはその制度の改変を期待する)のではなく、経済的には自立が可能(手弁当でできる範囲)なことで、自分が関わりたい制度の外部でいついかようなる形にも可変なネットワークを緩やかに維持できている点だと思う。そして、もう一点はalmost completely under controlな点、つまりマネージメントできる規模をきちっと維持している点だと思う。僕はこのようなネットワークはある種の巨大化や制度化を目指すべきでは無くて、ある程度コントロール可能な遍在するネットワークがその境界線で、交互に浸食したり、混じり合ったりするような状態、水越先生であれば「ビオトープ」とでも呼べる状態が望ましいのだと思っている。ということで、僕も賭金を賭ける側から回収する側への過渡期にあって、つい魅力的な院生や美術関係者にひかれると、一緒に仕事しよう的なことを言ってしまうと思うのだけれども、そういうことは無視して、競馬に今の手持ちの賭金を回すよりは、少しずつ低利回りの長期国債や社債に賭金を投資する選択肢も十分ご検討頂ければと思ったりするのである。

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