2013.08.24

私的あいちトリエンナーレガイド:その1

表題通りです。今週あいちトリエンナーレを訪問しました。初日は灼熱、2日目は花曇りで救われた感じです。なんとなく3回ぐらいで、個人的な印象を書いていこうかなと。まあ、ガイドとしてはほとんどの方の参考にはならんと思いますが、多少なりともお役に立てばとは思います。

何から書こうかなあと思ったのだけれども、多分良いことは比較的長期記憶が持つのだけれども、そうじゃないことは比較的忘れそうだなあと思ったので以下の話から。ということで掲載した写真は、僕は比較的好きな「Blast Theory」の作品の手前の風景。個人は特定できないひきの写真ではありますが、もし問題があればご連絡頂ければと思います。可及的速やかに写真は削除します。

まあ要は8月の名古屋で、屋外にスタッフが長時間待機してなくては行けないのはどうかなと僕は思ったわけです。名古屋市美のあたりって、藤森照信さんとブラストセオリーの作品は、そのの鑑賞上どうしても管理者が側にいなくてはならないのだけれども、せめて一人10分交代ぐらいにはならないのかなあと。当日スタッフの方と結構話し込んだのだけれども、普段は30分、ひどいと1時間交代ってことがあるらしい。写真は日陰なのでまだ涼しいかもしれないけれども、藤森さんの作品の場合には完全に日差しが照りつけるので、特に一般スタッフの場合にはボランティアの方も多いので、だからこそ配慮できる部分はもう少しあるんではないかなあと思ったのです。

作家、企画者ご本人の意図の有無は別として、これだけ関係性の美学を参照したような作品が増えたり、日本における芸術祭が地域に根ざした形で進行しているなかで、企画者でも来場者でもない、イベントを支えるスタッフがどれだけハッピーな形で継続的に参加できるかを考えていくのはとても大切なことだと僕は思っているからです。国際展のディレクターは必ずしも地元の方がなるわけでもない。来場者も地域外から数多く訪れる。となると、実際には国際展の地域性を支えていくのは間違いなくイベントを支えるスタッフなのだけれども、明らかに彼らを対象とした「ことば」は国際展を議論するときの総量としては少ないなと。ことばの欠如そのものが国際展のなかでのスタッフのプレゼンスを失わせてしまう側面がある。加えて、「コミュニティに入り込む」とか「コミュニティ自体を再生する」といったお題目って、現代社会では数少ないアートの社会的意義を延命させる希望の光だと思うのだけれども、それは恐らく来場者でもあるスタッフがどれだけつきあっていけるかだし、「こへび隊や「こえび隊」」のような制度も、これから評価が始まっていくのだろうと思う。その意味では、あの二作品の鑑賞予約、管理の側面だけを挙げて、あいちトリエンナーレが良くないと批判するきは毛頭無い(し、そもそも展示全体としてはこの数年日本で見た中ではすごく良かったと思っている)けれども、一方でこんなことを一人の来場者に考えさせるきっかけには十分だったということは書いてもいいのかなと。

それと同時に、展示の質だけではなく、来場者の数だけでもなく、スタッフの国際展との付き合い方も含めて最もバランスを上手く保ち、外的環境の変化にも柔軟に対応していった国際展が、日本の国際展として根付いていくと思うので、何より一人の来場者として目一杯楽しむことを大切にしながら今後も付き合っていけたら良いなと感じた初「あいちトリエンナーレ」でした。ということで、展示の内容とか、良かった作品とかは月曜日以降にでも。

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