2014.12.30

on Taipei Biennale

ということで、講義も終わったので何とか予定をねじ込んで台北ビエンナーレを訪問した。僕はあまり興味はないのだけれども、今年開催されているアジアの国際展のなかでは、ディレクターがニコラ・ブリオーだということもあって、日本からもそれなりに訪問した方がいらっしゃるのではないだろうか。以下、美術好きのおっさんの印象です。最初の写真は、会場となった台北市立美術館。台湾は4年振りだったのだけれども、建物自体が増設されていた。

平日の午前中に着いたので、人影はまばら。当然台北は台湾最大の都市ではあるのだけれども、コンテンポラリーの不評さは世界共通というところだろうか。会場は3フロア全体が利用されていた。1階は作品としては、いわゆる絵画、彫刻の範疇で見られる作品が多く、普通にホワイトキューブの展覧会を見せられているという印象が強い。動線上は1階の入口と出口に、ある意味では参加型の作品が見られるのだけれども、ほとんど目立っていない

2階になると、映像や写真がやや増加し、かなり作り込まれた作品も増えていく。なかでも2Fで個人的に気に入ったのは以下の2作品。一つは、台湾の作家周慶輝の写真作品≪animal farm≫。全体としては4枚で写真が組まれている。そのうちの1枚が以下。僕は、基本的に研究で使うと決めていなければ、音声ガイドも図録も携帯しない人なのだけれども、「animal farm」というのだから、オーウェルの『動物農場』とコンセプトレベルでは繋がっているんでしょうねえ。僕は単純に「ヒト」以外のダークファンタジー的な色彩と、きわめて無機質な人間描写が奥行きのない平面としてまとまっている感じが比較的好きだなと思っただけ。

もう一点、素朴に楽しいなあと思っていたのが、Surasi Kusolwongの≪Golden Ghost≫という大規模なインスタレーション。以下の写真を見ても分かる通り、一番学生や小さなお子さんが楽しそうに作品に「参加」できる作品で、僕自身少しはしゃいで中に埋まって写真を撮ってもらったりという感じだった。修学旅行に行く学生が、夜枕投げをする感じで付き合うと楽しい作品だと思う。僕は美術批評そのものに強くコミットする気も、充分な文脈の理解もないけれども、「関係性の美学」何て言うのは言語化せず、感覚レベルで楽しんでいるからこそ良い美なんじゃねーかと思う。「関係性」を取り出してしまうと、「関係性を楽しめ」という遂行的な命令に変わってしまう気がしていて、まあ美術に限らず、その関係性を楽しめと言われて関係性を楽しむなんてことは普通はできないからねえ。

3階はかなり映像が増加したと思うのだけれども、Mika Rottenbergの≪Bowls Balls Souls Holes≫は、美術館で見るべき映像作品かなという気がした。僕は過剰に意味の分からない映像作品は嫌いだし、過度にストーリーのある映像作品はミニシアターででもスクリーニングしてくれと普段から思っている人だけれども、この作品はそこそこ尺が長くても、Youtubeでもなく、映画館でもなく、美術館で見たいなと思う作品だった。理由は分からん。ある映像が、映画に属するのか、美術作品に属するのかという線引き自体が聞くだけ面倒なので、美術館で見た方が良い作品の要素みたいなことを考えだすと、もう美術館行けなくなる人なのだけれども、これだけ数こなしてきて、この作品は美術館で、前に人が座っていると見づらいなあみたいな環境で見ているのが自然だと思わされたのだよね。

ということで最後にもう一度全体を的な流れが学生のレポートだったら望ましいんだろうと思うけれども、国際展の「良し/悪し」って良く分からないというのが正直なところ。企画展のような場合であれば、一定の大きさの展示会場で、ある作家の再評価なり、ある現代的なテーマを反映させたなりという点を内容に即して評価(比較)することは可能な気がするけれども、国際展は基本的には資本主義によって駆動されている美術市場でいかにトレンドの更新を加速させるかという側面から要請されている制度でもあるので、基本的には展示作品も増加してしまう。そんな国際展の規模感からすると、そこに統一的なテーマや企画展のような緻密さを求めること自体無駄な気がしていて(そこを評価する専門性は僕は全くありませんが)、せいぜい打率としてどのぐらい好みの作品があったかぐらいでしか、僕は判断していない。し、そんな基準である以上評価とは言えないんだろうね、あまりに私的で個人的な印象に過ぎるから。でも、いずれにせよアジアでのビエンナーレは中々僕は訪問できていなかったので、その雰囲気を味わえただけでも僕としては幸せだった。これで展覧会も見納めだろうと思うから、最後に今年も僕の人生を楽しくしてくれた「アート」に感謝のありがとうを捧げたい。

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