2015.04.26

京都でも考える

この4月は、間違いなくこの数年で一番バタバタしていたと思う。pasomoのチャージ回数で良く分かる。私用でどうしても京都に行く必要ができた関係で、半ば訪問をあきらめていたPARASOPHIAを回ることができた。とはいえ、6時間以下の睡眠が続いていたので、どうしようもなく眠かったけど。下の写真は、ウイリアム・ケントリッジのお出迎え作品。

全体の印象はというと良くも悪くも河本さんという感じだったでしょうか。メイン会場だった京都市美は、普段はただの古い美術館というイメージだけれども、芸術祭の会場だと映えるなあという印象。全然違うと怒られそうだけれども、何となくドクメンタのフリードリッヒチアヌムを彷彿とさせた。でも会場の広さはきっとあちらの方が大きかったんだろうなあという気はする。

作品としては、会場に入ると最初に今回のメインアーティストの一人であるウイリアム・ケントリッジの映像作品にお出迎えを受ける。昨年2月のプレイベントに展示された作品が作品だったので、漠然ともう少し大きな作品を想像していたのだけれども、意外とこぢんまりしていて落ち着いて見られる感じだった。

美術館の誕生、歴史シリーズは基本的に僕はいらんかったと思っている。特に真島さんの作品の展示はほとんど目もくれず進んだ。芸術祭って同時に数多くの作品を見させられるある意味では暴力的な空間なので、そこで字面を10分以上追わされたり、1時間単位の映像作品展示されるのは苦痛なんだよね。上映6時間以上の作品が確か一点あって、これは京都に住んでないと無理ですよとトホホ感がありました。

美術館の誕生シリーズと逆側の地下にあった高嶺さんの作品は、安定しているというか心地良い作品だった。地下特有のロケーションを充分に生かせていると思ったし、dumb typeの時から(または関係者に共通して)だけれども、音響が心地よさを増しているなあと思いながらゆっくりと眺めていた。下が高嶺さんの作品。音がないので、良さが余り伝わらないかもしれませんが。

この二人は、ここではなくても何度も見た作家だけれども、この後の二組は多分見たことがない。グシュタヲ・シュベリジョンという方のインスタレーション。やっていることはきわめて単純で、元の雑誌内で持っていた記号と映像の関係性に、少しずつ介入し、その写真をつなげていくだけで違うストーリーを構築できるというものなんだけれども、下の「punx」は不条理過ぎて、つい写真にとってしまった。

最後は石橋さんの作品で、映像を軸にしたミクストメディアのインスタレーション。最後の部屋の映像は素晴らしい。ある意味では、今回PARASOPHIAを見たなかでも屈指の分かりやすい作品だなあとも思うのだけれども、言葉なしであの状況の女性の思考の過程を美しい映像として、なおはっきりと伝えられるアイデアと編集が素晴らしいなあと普通に見入ったのでした。

他の展示会場は半分ぐらい回って、最後は崇仁小学校跡の「Still/Moving」展に足を運んで終了。まあ大都市で開催される国際展は、基本的には作品あたり入場料のコストパフォーマンスはどこも良いので、そういった点では良かったかなと。気にしながら撮影しているので無いとは思いますが、ここまでの作品で著作権等に触れた場合はご一報下さい。すぐに修正の対処をしますので。

あ、あと最後に付け加えておく必要があるのが、アンケートは文句なくひどい。まあ、国際展、美術館の展覧会を含め基本的に展覧会のアンケートはあまり素晴らしいというものには出くわさないのだけれども、回答率ほぼ100%の僕が見たなかでも相当厳しいものだった。いちいちあげていると論文書けるぐらいの長さになってしまうので、ちょっとこれはという二点に絞ると、主旨が分からない。特に分かれることがなく、展覧会の内容の評価と、京都観光におけるPARASOPHIAの意義の二つの目的が、特に上手く組み合わせられることなくただ繋がっていて、答えていてそれなりに不快。特に後者は企業でいうマーケティング的な要素があるにもかかわらず、ノーコストで消費者にサービス評価させているのと同じなのに、全く配慮のない(答えさせられている消費者目線のない)質問項目とフレージング。二点目、これもどうかと思ったけれども、アンケートの回収先が箱ではなく、そもそもアンケート用紙が入っているのと同じオープンのトレイ。確かに無記名アンケートなので、個人情報流出にはならないとは思うけど、誰でも回収したアンケートを読めたり、盗めたりする状態の場所に提出させるのはどうかと思うぜ、おっさんは。といった感じのPARASOPHIA訪問でありました。

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