2016.04.17

 「立ち止まること」、「変わり続けること」と寄り添っていく心

こういうポストをするとすっかり私もオジサンになったんだなあと思うわけだが、おそらく4月も2週たって生活が落ち着き始めた学生へのエールなんだろうと思う。こんなことを書こうと思ったのは、吉見俊哉さんの『「文系学部廃止」の衝撃』を読み終わって、色々と自分の学生生活(学部から博士学位取得と考えるとのべ16年…)を思い出していたからである。

そろそろ40年が近づく私の日本での生活を振り返ってみると、20歳ぐらいからは社会の生きづらさに何度も直面したのだなあと思う。例えば、センター試験のような一括試験による大学の選別、新卒一括採用の就職システム、企業と高等教育機関の間での人的流動性の欠落。21歳のとき、普通の学生と同じように職業選択を迫られるなかで、実は当時したい仕事はあったし、そのために自分なりに学生の頃から専門性を(ささやかに)つけてきたつもりではいたのだけれども、その仕事が生業を稼ぐ仕事としては存在せず、「すごく」悔しい思いをしたことを思い出す。間違いなくひどい挫折感にさいなまれた。

ただし、そのあとは我ながら無茶な選択を繰り返してきたのも確か。将来が4年では決められず留年。その後、一般企業に就職し、仕事内容にも同僚にも恵まれたにもかかわらず早々に退社。大学院に復帰したと思えば、修士2年の大事な修論発表では惨めな発表内容に自ら発表を放棄。その挙句、博士に進学できたものの、M2ではなくD1で一般就職の就職活動再開。さらには、ミュージアムでの就職活動を続けながらも、オファーがきたので突然渡英。などなど、何とも節操もない生活を20代を送ってきた。当時も重々承知してはいたが、本当に愛情と理解力に溢れる両親だったと思う。

ただ、ここで言いたいことは自分の勇敢さを示したいとかそういう意味ではなく(というか個人としてはむしろ私は臆病な人間である)、そこでの判断一つ一つは自分の意志で下してきたという点だ。

その中の一つのエピソードを今回の書籍を読みながら思い出していて、それは企業と大学の間での人的流動性に関わる。私がD1で就職活動をしたのは、修士での経験を実社会で生かしたかったからである。今も僕の研究領域の一つのコアであるけれども、僕は社会学的な観点からミュージアム、芸術文化と向き合ってきた。その知識を再度新聞社の事業部で生かしたいと思ったのである。あまり知られていないかもしれないが、当時(今は知らない)の新聞社は、実は新卒かどうかは一括採用の際の条件とはしていなかった。確かルール上は30歳前後以下であれば、だれでも応募が可能だったのである。なので、ルール上OKである以上、ルールに従って出願。新聞社独特の筆記試験をパス、面接も2回パスし、恐らく25歳(26になる年)、既に脱サラ経験のある博士課程1年生がとある新聞社の事業部採用の最終面接に至ったのである。ところがそこでの経験はきわめて苦い思い出となった。今でも覚えているが、そこで面接官の一人に「君は今までの人生で挫折したことがないだろう?一般の社会的常識のなかで生きていく気はないのかね?」(質問の要約、正確ではありません)と言われたのである。そもそも、就職留年し、修論も自分のなかでは満足いかず、というよりは25年生きていて挫折を感じたことがない人間はいないだろうし、そもそも新聞社の役員まで上りつめたあなたの方が社会的には挫折したとは言えないでしょうと思ったのだが、結果そこで就職活動は終了することになる。

このときはとても悔しかったのだけれども、でもその時も今も僕のコアの考え方は変わらなくて、必要に応じて大学を出て就職した後も好きな時に大学院に戻ったり、逆に大学に入る前に社会経験のある方が大学で専門知識を伸ばして再度職場に戻ったりという流動性がある社会が望ましいと思っている。そう思った以上、限定された条件のなかでその可能性に挑戦すべきだと考えた一回り前の自分の判断には、何の悔いもない。やはり、学部のときに、生業にはならないからといって自分の意志をどこかで曲げ、一般的な就職のレールに乗ったときの悔しさが糧になったのだと思う。以降僕は、基本的にやりたいと思ったことは、二兎ぐらいまでは必ず同時に追うようにしている。それは、別に自分に自信があるからではなくて、一兎を追っている人にも負けない努力を二兎両方に与えるぐらいの人生の方が、怠惰な自分にとってはプラスになるし、何より日々の生活が楽しいからだ。2倍苦しくても、2倍学べるし、2倍の人とも会える。それを、今の社会が受け入れないからやめようとか、印象が悪くなるからやめようとか思うのは間違っているというか、単純に楽しいことを放棄しているように思うからだ。

恐らく、春に大学に進学してきた学生のなかには、それこそやりたいことはあるのに無理して4大に来たり、本当は違う勉強をしたいのにどこかで安定性や就職を考えて学部を選んだりした学生がいると思う。その判断自体は、誰からも尊重されるべきことだと思う。だけど、だからといってずっと我慢することはないし、その判断に自分で責任をとる覚悟がある限りは、自分の信じる選択を続けて欲しい。法律や制度設計で確かに容れ物としての社会は変わるかもしれない。でも、結局「いやなものはいや」、「こういう価値観で生きたい」と思うのであれば、やはりそれは一人一人がその信念に基づいて判断するしかないし、恐らくそれが本来的な意味で社会が変わるってことなんだと思う。誰もが生きやすい社会を望むというのは誰もが共有できる目標だと思うんだけれども、それは最大多数が生きやすい社会を実現することでは必ずしもない。その生きやすい社会には、必ずあなたの生きやすさが含まれていなくてはならないはずで。そんなこともゼミでは一緒に考えられたらなあと思う。こんなことを書いていても、私にも私の持つ社会的バイアスからは逃れられなくて、時に傷つけるようなことを言うかもしれないダメな教員でも良ければだけど。

«
»

Trackback

http://toshiromitsuoka.com/blog/2016/04/17/1480/trackback/

Leave a Reply