な日々が続いております。職場ではボスの研究イベントのマネージメント、その他物書き業務に追われる日々です。
とはいえ、昨日はTokyo Art Schoolの三回目。平日の夜だというのに、受講者の半数以上が集まったのに弱冠驚いたのと同時に、漸くくつろいだ気分でこちらとしても参加できるようになってきた。Tokyo Art Schoolのセミナーの難しいところは、目標が明確ではない、もしくは一致していない点に尽きる。大学院だと博士は別にしても、学部、修士は最終的には論文をまとめることが共通の目的としてゼミにはあるんだけれども、こちらの場合は7回の連続レクチャーの成果物としてのプレゼンテーションというところでどうも座りが悪い。
今回は、受講者の皆さんの話をより深く聞けるように配慮したのだが、これは案外RAサイドとしては仕事がしやすくなった感じがある。1対5、1対10、1対40で大分話の仕方や話の運びの進め方が変わるんだなということを改めて感じる。イベントの主旨上、どうしても「東京」について考えざるを得ないんだが、なんとも不思議な概念である。「東京」という言葉の一番の問題点は、都市名と県名(海外であれば州名にもなるか)が一致してしまっている点にあるんだろうとも思う。僕らが東京の話をするとき、やっぱり「あきる野市」なんかに対する配慮はほとんど存在していないわけで。ロンドンや、台北はまだイメージができるんだが。でも、両国と吉祥寺が全然違う感覚を喚起するように、当然east endとwest endもまた違うからなあ。
いずれにしても、都市の概念は不思議なものである。実質的な概念を規定することはできなかったり、とりあえず棚上げにせざるを得なかったりするんだけれども、それでも共有のイメージを持ててしまう。僕の研究対象である「ミュージアム」も似た用な概念なんだが。と考えると、都市やミュージアムのせいではなく、僕らの言語を介したコミュニケーションも結構いい加減であることが、決定的に重要な気もしてくる。だとすれば、言葉を使って商売している僕の仕事もいい加減なものだ(苦笑)。と、今日は日記の内容もnothing special。