この2,3日久しぶりにきちっと休みをとっている。木曜日が大学の創立記念日で休み、金曜日が研究日ということで、ちょっとした連休になっている。
しばらく、心身ともに低調な感覚が抜けなかったんだけれども、今回は覚悟を決めてこの週末は博士論文のことは忘れてリラックスしてみようということで、意図的に距離を取って過ごしている。
木曜日はちょこちょこと事務的な作業をした後、午後に日比谷シャンテでオリヴェイラの新作を見る。夏休み空けて以降、少し美術館には足が遠のいていて、映画館の方がリラックスできる。今月末は確か早稲田松竹で今敏の追悼上映だったと思うのだが、ガンダムUCやマルドゥック・シティなどアニメーションの映画公開目白押しである。
金曜日は、漸くのこと金曜日に正確な意味で休めたので、久しぶりに指導教員のゼミに出席した。あ~、久しぶりに自分のフィールドに帰ったなあという感じがした。議論の仕方とか、相手の議論の殺し方(言葉は悪いけど)とかが社会学に戻っていて、ほっとした。徐々に一人の研究者として扱われる機会も増えてきたけれども、やっぱりまだまだ圧倒的に自分のなかでは、僕は伝える人ではなく、学ぶべき人のアイデンティティが強いんだなあと感じてしまう。
今日も、そろそろ論文を読もうかなと思っていたのだけれども、午前中にジムでヨガとルーティンワーク。今日はくたくたになりたくて、ランニングの量をかなり増やしてみた。帰宅後は、シーズン中盤に差し掛かったNFLのテレビ中継を見た後(これがまた、すごくいい試合だった)、博士論文にはあまり関係のない、『セゾン文化は何を夢見たか?』を読み終える。
1978年生まれの僕の世代は、セゾン文化の最後の数年を看取った世代と言えるのかもしれない。waveやアール・ヴィヴァンとは僕はすれ違ってしまっていて、最もセゾンという名前でお世話になったのは「シネセゾン」だし、書籍店としてはnadiffなんだろう。これは、僕は良く周囲の人達に話しているのだけれども、1970年代後半生まれの世代って、あんまり自らが文化的に何か生み出したっていう意識を持てないのではないのかと。もちろん、これは個人的な感覚なので他の人に押し付ける気は毛頭ないんだけれども、1970年代前半生まれの世代が生み出したカルチャーを僕は受容していただけで、そしてそこでの経験が僕のリアルであって、何か僕の世代ってその弟世代に伝えられたものってあったのかなと、20代後半から良く考えている。
というなんとも取りとめのない今日の日記…。