最近twitterを見ていて昔より苛立ちを感じることが多くなっていて、その理由などをぼーっと考えていた。
多くの人がとっくにこんなことは思っているんだろうけれども、自分のなかでは「可能態」のメディアなんだなという感覚が失われたことが大きいんだと思う。あと、どうしても僕は言語の問題がひっかかっている。日本語の140文字は呟きとしては、どうしても僕個人としては扱いづらい。
中国語やタイ語は分からないけれども、多くのアルファベット言語圏で利用している人にとって日本語ではtwitterの感覚が大きく異なるのではないかというのは、twitter上でも指摘した通りである。僕にとって日本語の140文字は、ただ呟くには多くを語れてしまうし、本格的に議論するには細部が落ちすぎるという何とも切ない字数なのである。
日本のというより僕のTLを観察してきて思ったのは、特にアート関係の方はtwitterで非常に積極的に議論しているんだけれども、どちらかというといらっとすることが増えてきた。ただ一方で、140文字だからこの余白は埋めてあげないといけないんだろうなとは思うので、特に前向きな意味で批判をしようという気にもなれない。むしろ、僕にとってはフラストレーションがたまるだけの言説の蓄積になりつつある。
生煮えの議論もひっかかるんだけれども、もう一つひっかかるのは最初から続くことを前提にしているtweetとか、それだけあれば他のオンラインメディアにハイパーリンク張ればいいんじゃないかと。連続で投稿するのは、140字では上手く伝わらないことが前提なのだから、ならば他に適した形式を採用すればいいのではないかと。これは半分僕自身に対しての反省でもあるんだが。などなど、どちらかというとネガティブな感覚を持つ頻度が高くなってしまっているのである。
もちろん、だから本質的に日本語にはtwitterがそぐわないとか、英語万歳とか言いたいのでは全くなく。この自身の最初にtwitterに感じていた便利さと、最近の気持ち悪さをある種突き放して分析してみたいという欲求に駆られている。
あ、あとここまでで書いていないことというのは、つまりアルファベットだと大したことが言えず、より瞬発力に頼ってtweetするきらいがあって、その瞬発力にクリエイティブなものが発生しえたという直感がある。一方で、日本語の140文字は構成も推敲も可能な分量を持っていて、極めて自己言及的で、伝統的に文字という形式に縛られた発想しか生まないのではないかとも感じるからである。だとすれば、文字数のユニットとか、速度の問題としては差異が存在しているけれども、英語におけるブログとtwitterの距離感からすると随分小さなものなんではないかなあなどと感じているということでもある。
まあ、このポスト自体も呟きみたいなものではあるんだが。明日から、その英語の国へ行ってきます。あまり寒くないといいなあ。