2011.04.10

休日の過ごし方

を最近忘れてしまった気がする。甘っちょろいなと言われるかもしれないけれども、いまだに少し精神的には前向いたり後ろ向いたりする日が交互に続いている。4月は抱えている仕事が多くて、何とかこなしたいんだけれども休日に頑張れない。

3月の最終週あたりから、少しずつ通勤の様子も落ち着いてきたので、職場に行く日はかなり集中して仕事ができるんだけれども、休日の仕事効率が落ちている。昨年度はなんとなく、何か予定があれば土日のうち1日は休日として完全にオフにして、もう一方の日には淡々と自分の仕事をするというリズムで落ち着いていたのだけれども、今年度はまだその形では落ち着いていない気がする。単純に、僕の精神的な弱さの問題なので何とかしなくてはいけないんだけれども。

とはいえ先週は少し事態は好転と言えるのかもしれない。先週土曜日の午後にはCAMPの井上さんと、近況の交換を兼ねお茶をする。木曜日は、院生仲間と久しぶりに集まり、翌日二日酔いになるまで痛飲。丁度ふらふらと早稲田大学周辺から西早稲田まで歩いていたので、実はあの大きな余震にも気づいていなかった(苦笑)。今日は、第二ラウンドには残念ながら進めなかったものの、地元のdrinking palとたまプラーザ周辺のカフェで花見しながらビールを飲む。本当に先週の木曜日まで地震以降、家族と職場の人たちしか原則として会っていなかったので、こんなことの積み重ねでしか心は健康にならないんだろうなと。

ただ、少し気になったのは先週の土曜日。スパイラルでも表参道ヒルズでもアート関係のイベントをしていたのだが、義援金をというお仕着せがあまり好感を持てなかった。まだまだ、お金も、人も、物資も被災地に足りないのは分かる。でも、そのために寄付をするのであれば最も被災地支援に専門的な力を持った方々にしたい。少なくともその専門性があるのかないのかを開示しない状態で、寄付を求めるのはいかがなことかと思った。アートフェアであれば淡々とアートフェアとして作品を売り、オーナーがその売上げの規模に応じて個人的に寄付をすればいいのであって、あたかもこれは被災地復興のためなのでアートを買って下さいというのは、作品に対しても失礼な印象を僕個人としては持った。少なくとも、この義援金はこのような団体でこのような目的で利用されるまで具体的に明示してくれないと。実は、ここでアートを買ったり入場料寄付した額が、他の団体への寄付であればより効果が上がるかもしれないわけで。みなが義援金を募ること自体は批判しないが、だからこそ寄付をする方々が納得して判断するための情報の開示が必要だと思う。それに、これはちょっとした皮肉だけれども、普段芸術文化は数や経済的価値では測れないといいながら、ここでアートを通して被災地に対してできることが義援金しかないのだとすれば、その想像力は貧困に過ぎる。

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