2012.03.19

森下スタジオでダンスを見る

今日は飛び石連休だったこともあり、代休を取得し午前中は研究資料の整理に没頭するやら、体がコチコチなので整体の予約をとるなどして過ごす。書こうと思いながら、別のポストを先にしてしまったので、先週木曜日に見た北村明子さんの公演(正確には稽古風景が近いのかな)については何も書いていなかった。

たまたま木曜日の朝に、恩師の一人である坂牛先生のtweetを目にして北村さんのダンスを見に行くことに。坂牛先生の縁というのもあったのだけれども、勝手に数少ない佐藤先生の門下での先輩だと思っている祐成先生だったり、学部生の方の企画するイベントへの登壇のご依頼を受けたりと信大との縁みたいなものも感じていて、一度観る機会があればなあと感じていた。ちなみに信大は本当に就職してみたい大学の一つ。

まあまず最初に面食らったのは当日空席ありかどうかの受付番号に11時から開場寸前の18時まで10回ぐらい電話したのに誰も出なかったこと。これは、パフォーマーの問題ではなく、イベント会社としては正直どうかと思った。パフォーマーには別に悪印象は持たないが、同じイベント会社の公演にはもう行かないとは思った。後から北村さんご本人のコメントがあって、あくまでナラティブのある作品を目指しているのかなとは思ったんだけれども、冒頭の映像で登場人物の発話が日本語で翻訳されているのには少し面食らった。ダンスと音と映像の関係性を考えると、映像のなかに「読む」という作業が加わると相当注意の比重が強く置かれてしまうので、同じナラティブを大切にしても視覚的に記号性の強い英語翻訳までが限界かなと個人的には感じた。むしろ、翻訳がなくても発話の映像が利用されることで、ナラティブ的な肌触りというのは十分に残るし、それだけの存在感のある人物の映像だったと思う。2007年のDance Umbrellaで見たIsaac Julienなんかは、完全にナラティブ消えているけれども映像自体が綺麗で見てられたなあとかもふと思った。

踊りの部分そのものに関しては、日本側のパフォーマーとインドネシア側のパフォーマーの間の差異とか、お互いの動きへのコーディネートへの困難さ具合とかはそれなりに伝わってきて、ダンスに関してはただの鑑賞者の一人でしかない僕個人はそれなりに楽しめた。あの動きを見て、4月から太極拳を始めたい願望がより強くなったなあと。この2年体が硬いなりにヨガのクラスに参加してきて一番面白いのは、とにかく体が動くメカニズムが日に日に分かってくる感じだったので、異文化の体の動きってすごく興味深いなあと。

その後本当に久しぶりに坂牛先生(先生のブログでは久しぶりの「生光岡」と書いて頂き嬉しかった・・・苦笑)や、美学者の谷川先生などと食事をして帰宅。僕は東大の美学とは基本的にはあまり関係のない人なのだが、渡辺先生や小田部先生が若い頃いかに今道先生に鍛えられていたかなどは普通に面白い話だった。どちらかというと、メディア研究や社会学領域の中で育ってきたけれども、少し手を伸ばせば普通に建築家、美学者、舞台芸術の研究者や現場で活躍されている方と話す機会が持てる僕は本当に恵まれているなと。機会があれば、祐成さんや北村さんがいらっしゃる際に是非信大にも訪れてみたいなと思ったのである。

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