先週末は明治大学で博物館学会が開催されていた。全部ではないけれども、大凡8割程度の学会発表を拝聴。分科会システムではなく、本当に終日研究発表が続くので、疲労困憊。ちなみに不機嫌になったのは学会のせいではございません、あしからず。
不機嫌になった理由は簡単で、高橋さんの逮捕でほとんど詳細が飛んでしまったままに決まった大飯の再稼働と、ダウンロード関連法律の件。前者は日本で生きてれば誰にだってクリティカルな問題だし、ダウンロードの件も広い意味で文化領域の研究をやっていればこちらも同様に重要な問題。両者とも結局なにがどうなって決まったのかが分からないままに時間が過ぎていくのがただひたすらにフラストレーションを溜めてしまう。
デモに参加するのも一つの手段だと思うけれども、問題は日本でデモに参加していても「決定したことに反対する」ためのデモで、「決定に参与するため」のデモになりづらい側面があるので二の足を踏む。僕は研究者としても一私人としても、結果より手続に関心があるタイプなので、この過程に参加できなさ加減にげんなり。もちろん政策決定の現場に関与する身分ではないので参加できないし、ブログ等で反対するにも、デモに参加するにも、ハンストするにも、そもそも十分な情報を持ち合わせていないので決断すらできない。ただの普通の人である僕にとって意思決定をする際の情報源となるのは、やっぱりマスメディアだったりするんだけれども、高橋さんがマンガ喫茶のどこに座ってたかとか特番でご説明頂いている状態だったわけで。それより、僕(「ら」ではないかもね。)の知りたい情報をとは思う。完全にアジェンダの設定の仕方がおかしくなってるだろう・・・。元々失われたことで初めて発見されたような概念だけれども、日本で「公共圏」とか口にするのもバカバカしくなる(これは今、ミュージアムの公共性論を読んでいるせいもあるかな)。
で本題の学会。一言でいうと盛況。規模的にもそろそろ中規模から大規模な学会へと移行し始めている印象。これも印象でしかないのだけれども、博物館学会は國學院や明治の出身者が中心に動いている(ちなみに東大出身で基本的に英語圏ベースの理論研究をしている僕は恐らくかなりのマイノリティ)のだけれども、そろそろ明治大学だけに学会開催の負担がかかる運営は再考すべき段階だと思う。それこそキャンパスも美しい國學院、お茶の水、関西でも幾つかの大学で交互に開催しないともたないし、それこそ琵琶湖博物館だったりという博物館開催を考えても良いのではないかと思う。発表者の数は30名近いので、分科会ベースで発表して頂くのがいいんじゃないかなあと思う。現状は一人20分(うち5分の質疑)で、9時~17時までなので、正直集中力が持たないんだよね。もちろん、一会場で発表していることでかなり幅広いご発表を伺えるというメリットはあるんだけれども、さすがに直球の事例報告とかは対処に困ることも。ご発表としては、やはりメディア研究でいうメディア史にあたる、博物館史の発表の幾つかと、経営系のご発表二点は大変勉強になった。来年度は僕も発表しようかなと思っている。
とはいえ、これはマスコミ学会にも言えるけれども、マスコミ学会も博物館学会も僕より若い世代の研究の受け皿としては今後存続できるのかというと難しい気がする。上手くいくか、すぐ萎むかは別として学会を別だてで作っていってもいいんじゃないかなあという気はした。もちろん、「学会」にこだわる必要はなくて、名称は研究会でも勝手連でもなんでもいいわけだけれども。