昨日は日帰りで大阪に行ってきました。いつもの面々(と目上の研究仲間なんだが・・・笑)とも、初めてお目にかかる先生方もいらっしゃったのですが、その帰りにボーッと考えていたことを。つまり、展覧会の「制作者」って誰なんでしょうという。昨日は古い研究仲間でもある東海大学の加島卓さんの博士論文である「<広告制作者>の歴史社会学」の合評会に参加してきたわけです。僕は事前に目を通した段階では、序章の方法論的な縛りをきつくし過ぎていて、それがこの論文の「良さ/悪さ」にも反映されるんだろうなあと感じていました。それはでも、先行研究の束として広告史やデザイン史を設定し、「社会学」として論文を書く上では一つの自然な選択だとも感じていましたが。その意味では、福間先生の序盤のコメントは、加島さんの意図を文脈に基づいて汲み取ったグッとくるコメントでした。ああいう風に自身の博論も読んでくれる方がいれば、書いて良かった感があるよなあと。
まあ、それはそれとして、後半の議論なかでメディア史だったり、広い意味でのクリエイティブ産業にまで「<制作者>」の視点を持ち込んだときに、どのような議論ができるだろうかという論点が提出されていました。僕は元々その場でのレスは遅いタイプなので特に発言はできなかったのですが、帰りに展覧会の「<制作者>」としてどのような議論が提出できるだろうかというようなことを考えていました。これはアカデミックな議論ではないのですけど(というかそんなものブログではしません)、圧倒的に展覧会を語るときって、「今○○美術館の展覧会って誰の展覧会だっけ?」という質問に対して、「ああ、あれ八巻さんの展覧会です」とは答えないわけです(まあ、これはアートワールドのインナーサークルでは成立する/存在している会話ですけど)。
逆に上記の質問に対しては、一般的に「フェルメールの展覧会」だとか、「ナム・ジュン・パイクの回顧展」だとか、作家名が前面に押し出される形で語られるわけで、「展覧会に展示される作品の作者≒展覧会制作者」的な理解が強いのではないでしょうかと。でも「展覧会制作者」は、あくまで「展覧会」というプロダクトの作者なわけで、それはやはり明らかに「学芸員」でありましょうと。同じ「フェルメール」の作品でも、それが東近美の保坂さんか、ステーションギャラリーの成相さんかでは恐らく違う展覧会になる。にもかかわらず、現状日本人に関しては「学芸員≒展覧会制作者」を売りにすることは少ない。これは国際展なんかになると話は別で、これは「ハンス=ウルリッヒ・オブリスト」の展覧会であり、「ホウ・ハンル-」の展覧会だとして売られていく傾向が強い。社会学的(加島さんの場合でいえば<制作者>という職業概念への依拠)にどうこうここで書く気はあまりないのだが、単純にもっと日本の展覧会でも、積極的に学芸員の名前を前に出してもいいのではないかと思ったわけです。僕は近年の美術館の成果主義に別に賛成しているわけではないんだけれども、館のポリシーとして徹底することを選択するのであれば、その過程で学芸員にも成果目標はアサインされるべきはずで、その点でも悪くは無いと思うんですよね。
一方で感じているのは、「学芸員」は職業理念としては明らかに欧米の「curator」を中心とした概念とは違う職業概念として社会的に共有されているんだろうなあと。やっぱり「curator」は「curate」するのがその職能、つまり展覧会の制作がその職能とされているのであって、「学芸員」はその日本語の対応にはやはりなり得ない。「curator」に近い職能として「学芸員」が立ち上がらなかったからこそ、「展覧会制作」以外の職能も包含されているのであって、日本の美術館の制度史的な視点と同時に、美術館・博物館が日本近代に成立する際の、そのなかでの職能の社会史的な議論が充分にはまだなされていないのだろうなあというようなことをつらつらと考えていたのでした。こんなことを考えさせて頂けるだけでも、仲間の博論を読ませて頂く幸甚に感謝せねばと思うのでした。