2013.03.11

文化の値段、商品の値段

この一月ぐらい展覧会なり映画なりそれなりに見る時間がとれていたのだけれども、特に感想書いたりもしていなかったので、内容とは別にまとめて幾つか思い出せるものだけ「入場料」に注目して書いてみる。ちなみに関係者にご招待頂いたものもあるのですが・・・。

・「アーティスト・ファイル 2013」@国立新美術館

上の階無料だったので1000円が高いかどうかは微妙。元々「アーティスト・ファイル」って比較的若い作家の紹介がメインだと勝手に思っていた(現美の「MOT アニューアル」とセットの感覚)が、今回はどちらかというと経歴充分みたいな方が多かった。圧倒的に良かったのは、Darren Almondの《あながたいれば》。単純に美しいんだけれども、あの作品の良さは「三丁目の夕日」の明るさを抜いたノスタルジーだと思う。これは20世紀半ばのイギリスの社会の動向が分かることで受け取る印象に大分違いが出る。志賀さんの作品が見られたのも良かったなあ、これは東京で生活しているからならではだと思った。ちなみに展覧会の入場料でタマに思うのは、展覧会の入場料のうち2,300円はこちらの都合の時間に見て、都合に応じてかける時間も選択できるこちらの自由さに払ってもいいなという感覚。

・「WBC 台湾vs日本」@東京ドーム

結果的にはいくら払っても良い試合だったのだけれども、2試合通しのチケットしかなかったので、内野席で12000円でした。昨日のオランダ戦だとちょっと高いなと思ってしまう。キューバvsオランダ戦は見る時間なかったので、実質5時間で12000円。映画が1800円なことを考えると、映画の2倍はかかっていることになる。12000円で4万人とかだともう計算が良く分からない。この後の演劇と比較するとスケール感が全く違う。複製上映が可能ではない点では、スポーツ観戦は映画よりは演劇やダンスに近いと思うのだが、この産業化の違いはなんなのだろうか。まあミュージカルの市場なんかを考えても圧倒的にアメリカの方が大きいのは間違いないから、「パフォーミング・アーツとスポーツ」というジャンルの違いと「アメリカと日本」という国の違いのどちらの係数が相対的により強く効いてるのかは分からん。ただ、アメリカンとヨーロッパと日本のスポーツの産業化の問題はずっと関心がある。日本の場合には、「スポーツと地域振興」は、アートを地方に入れるときの重要な参照項だとも思っている。

ちなみに今日で二年ということでもあるので、心温まる一枚の写真を。この試合の日本の外野席の観客が台湾からの支援に対する感謝のプラカードを持ってきていた。これがセンターのスクリーンに映されると、台湾の観客席からも拍手が。政治、経済、歴史的にも懸案のある両国だが、台湾の方々が証明して下さったように、僕自身彼らにとっていい隣人でありたいと思う。

・「秘をもって成立とす」@シアタートラム

まあチケット代は4000円と考えて良いでしょう。座席数200程度と考えて10日間12公演と考えても、さほどの入場料にはならない。2時間のドラマを見せられるということを考えると、映画の2倍かかっている。でもトラムでも採算が合うかというと素人としては合わないだろうなと思ってしまう。これより小さい小劇場とかは、怖くて収支とか聞きたくない。ちなみに僕は小劇場が苦手なのだが、それは内容とか場の雰囲気というより、火事とか地震のときに逃げられないだろう感が半端ないのが理由。値段に見合った経験を得られると思うけれども、同じ値段なら映画を2作品見たいという感覚も否めない。産業としてはどうみてもスケールメリットが小さい気がする。だから公的に助成すべきだというのは一つの論理だけれども、他にも助成しないと立ちゆかないものは同じ芸術文化の領域にもそれ以外の領域にも沢山あるので、それ自体は決定的な理由にはならない。

・「Filments Orchestra」@世田谷パブリックシアター

これは前売りで2500円。これも参加アーティストの数、場所、座席数を考えると採算的には厳しそう。この2500円は高いのか安いのか良く分からん値段だと思う。SPTの公演としては安いなと思う一方で、ライブでも、インスタレーションでも、パフォーミング・アーツでも「ある/ない」ような何かなので、比較項が参照できない。ただ、僕が良く行くようなアート・パフォーマンスやダンスよりは音楽よりの客層だったとは思う。Londonに留学中、ICAで大友さんの公演を聞きましたが、あのときは僕らが歩かされていたのに対して、今度はあちら側が歩いてましたね・・・。僕個人としては適正か、やや安めの設定の印象。

こうしてみるとWBCが特別の値段だという問題はあるにせよ、いわゆる「芸術文化」の入場料も必ずしも高いわけではないのだなと。これにオペラ、クラシックなどが入ってくると話は少し変わるんだろうけれども。ただ、一つ念押ししておきたいのは、来場者にとって「演劇」や「音楽」は「映画」のように複製できないのだから、値段が高くなっても仕方がないという論理は「文化」の値段のつけ方でしかないということ、少なくとも大半の来場者はそんなことは預かりしらぬわけで、あくまで今日の休日を友人や家族といかに楽しむかという「商品」の値段で選択をしていること。僕が美術館には中学生の頃から継続的に通っているのはやっぱり来場者側の自由度が高いのが一つの要因で、一方で博士あたりから映画を見る頻度が落ちたのは、明らかに時間と場所を制約されてしまうという日常生活的なエコノミーの論理の影響が強い。というわけで、ちょっと長すぎるポストになってしまったけれども。

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