2013.04.19

新世界より

あっという間に年度が変わって3週間。漸く少しずつ新しい年度のリズムが出来てきました。今日は新年度のご挨拶を。

実際に僕をご存じの方はおおよそ伝わっているとは思うのですが、4月1日づけで東京経済大学のコミュニケーション学部に着任しました。知っての通り、僕の場合研究領域がすんなり「博物館学です」とか「メディア研究です」とか言えるタイプではないし、そもそもそういう自己紹介の仕方を半ばあきらめているようなところがあるので、こちらで拾って頂いたことを感謝しながら、新しい生活を始めているところです。

研究者としては当然今現在も未熟で、正直「先生」とか呼ばれるとゾッとする瞬間もあるのですが、改めて確認してみると、小学5年生の段階で、将来は「歴史学者か考古学者になりたい」と文集に書いてありました。僕は恵まれていて、歴史学者に憧れていた時期に高校の世界史の先生が当時清泉女子大学の西洋史、もしくは文化史の教員だったこともあり、比較的早い段階で職業としての研究者とはどういうものなのかを考えるきっかけを得ることができました。

大学に入学した頃は、日本で言うと森洋子さんの研究をさらに社会史テイストを強くしたような研究、具体的には「北方ルネサンス絵画」を一時資料(史料)としたオランダ、ベルギーの社会史のようなことに関心があったのを覚えています。方法論的に意識はしていませんでしたが、この時点で意外とはっきりとテクスト中心で、テクストに落とさざるを得ない人文知のなかで、「視覚的なモノ」をどう再布置するかという問題意識は強く、今思うと日本での「社会学(学部)」、「文化資源学(大学院)」のルートがこの時点で用意されていた気がします。

二十歳過ぎたあたりから、性格的に自身は研究者には向いてないと感じ、留年したり、一般企業に勤めたり、儲からん団体の旗揚げに参加したりしていたのですが、結果的には一度、大学という社会に腰を据えることになりました。多分変に迷ったり、周りを見て研究者には向いてないなとか思う暇あったら、自分が面白いと思うことを伝えるために本を読んだり、モノを書く時間に当てていれば、もう少しまっとうな研究者になっていたんだろうとは思うのですが、とりあえず物心ついてからずっと何かを「面白い!」と思える環境があって、浮気性は浮気性なりに、そのときそのとき打ち込めることがあったのは改めて幸せだったなと。

これからは、少しずつ自分たちが生きている世界がまだまだ捨てたものではないのだということを伝える側にもまわらなくてはいけないのだと思いますが、例年通り変に気負わず、無理せず、できることからコツコツとを続ける予定です。ほとんど人間的には変わり映えすることはないと思うのですが、とりあえず子どもの頃描いていたスタートラインには立つことができたようです。これまで支えてくれた全ての皆さん、特に両親と大学以降親しくお世話になった先生方には改めて御礼申し上げます。また、今年度は個人的には本格的に博論も手を離れて新しいテーマでの研究を進めると同時に、手弁当で同世代の研究仲間、仕事仲間と小さなプロジェクトも準備していますので、そのような機会に皆様とお目にかかれればと思います。本年度も、お世話になることが大半かと思いますが、引き続きお付き合い頂ければ幸いです。

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