ということでお呼ばれだったり、10年来の友人の一時帰国だったりで、美術館外のアートイベントを幾つか見たのでそのレビューを。片方が11月の前半に小金井で開催されていた「これっきりエンナーレ」であります。以下は、そこでのトークの写真。一応僕以外は写真では認識出来ないよう配慮したつもりですので、何か問題あればご連絡下さい。この写真を見て、最近外部で話す時はA.P.C.のジャケットに無印のボーダーカットソーが定番になっていることに気づきました(笑)。「これっきりエンナーレ」@小金井市街
こちらは、街ベースの中規模の企画展と呼ぶべきなんだろうか。僕は実際に企画、運営をしてきた方のうち3人とは実際に話す時間もあったので、人称性込みで評価するのであれば良く回ったなというのが正直な印象。僕も、以前訳の分からんリサイクル工場で展覧会の企画をサポートしていたこともあって、言うのは簡単なのだが美術を展示する場所ではない場所で美術を展示する際の面倒さ加減、場所の交渉から、普通の展示室であれば揃っているような機材や、電源といったものまでとにかく大変なので、それをあの20代半ばのメンバーで進めたのは頭が下がる。
ただ、twitter上で知人が指摘していたほどは、展示全体を手放しでは評価していない。素朴に一つ言えば、あまり作品単体でグッと来るものがなかったのはある。僕は批評家でもなんでもないので、ただの一般観客としてし発言しているわけですが、見た瞬間の第一印象で「ああ」と思えたのはコーポの濱中さんぐらい、あとは仕組み作りとしては菊地さんの作品も個人的には好きだった。ただ、これに関しては恐らく個々の作品の質というよりは、「量」的な問題だと思う。基本的には、作品の好みなんていうものはそれぞれ気まぐれなものなので、数が絞られていけば絞られていくほと地域ベースの展覧会の評価は低下するんだろうと思う。越後妻有でも、もちろん全作品が好きなんていう来場者はほとんどいないはずで、むしろ量があるからこそ、誰もがどこかで満足できることが、全体の評価の平均を押し上げる。僕が推定している今回の展示の額であれば、このやり方がベストだったのかは僕には判断できない。
あともう一つは、手作り感は随所に感じた。これは人によって感覚が分かれるんだろうけど、アートに貧乏臭さを感じた瞬間にダメになる来場者はいるとは思うので、スーパーは別としても、もっと低予算で小綺麗に見せる方法はあったのかなと思う。あとは、僕は別に気にならないけれども、国際展にしたいわけではなくても、参照先としてビエンナーレ文化をタイトルに組み込むのであれば、展示会場にポートフォリオみたいなものがあったのは、ギャラリーで展示してはるんですか感を覚える方もいらっしゃるだろうなあとは感じた。ベニスの島内会場外会場の雰囲気というか。結局、スッキリとしたことは言えないんだけれども、小金井自体の土地の強度はいかんともしがたい気がする。とりあえずこんなところで。
もう一つはほとんどこれっきりと同会期で進んでいた「JAPANESE ARTISTS IN NEW YORK」(@新丸ビル)。こちらは、もう会場が会場なので、ある意味ではお金の匂いを感じずにはいられない。以下は土曜日の音楽イベントから一枚。こちらも分かりそうな聴衆はフォトショップで消してあります。後ろのグラフィティ的なサインが、エンリコさんの作品でもある。
レストランフロアの一体を会場にした展覧会だが、サイトスペシフィック感で言うとこのフロア自体の場の強さが圧倒的過ぎる(笑)。僕自身はこちらの方が作品は全体的に好みだったのだけれども、一番のアートは7階のお手洗いだったな。ロンドンやNYのトイレでも日本人がここまでデザインして、清潔感を保てばホワイトキューブの上を行きますという存在感だった。大坪さんの石が僕は結構好きだったけど、僕の面白がり方と彼女の意図は大分違うというのはこの展覧会を企画している藤高さんとの会話のなかで分かった。
前者との比較で言うと多分値段問題は一つあって、この作品で無料だとかなり来場する側としてはお得感が強い。一方で、これっきりは値段設定は価格相応(だけどあの値段では赤字かなあという印象)だけれども、展示を見る際に「500円」払ってみたいのかというのは難しいところだなあと思った。直観的には、1000円ぐらいが美術を見る適性値段の最下限な気がしていて、500円だと娯楽の対象にならないので行かないという判断は有ると思う。ただし、1000円にして作家増やしたとして、来場者半分以上来るかもまた誰も保証してくれないので難しい判断だろうなあとは思う。
もう一つは、日本のドメスティックなアート関係者のある種の極端な住み分けと相互無関心さは改めてウンザリした。予想通りだったけれども、後者ではやっぱりコンテンポラリーのギャラリー関係者、NY関係者が多いのに対して、前者は地元の人、学生、関係者が大半。これ以外にも、美術館の学芸員もそれなりに閉じた関係性(学芸と教育普及系も必ずしも一枚岩には見えないし)を形成しているし、加えてAAFが可視化してくれる地域ベースのアートNPOもその外部からは中身が見えづらいし、その頂点には日本の公募団体もいる。こういう日本のアートシーンが嫌で、藤高さんとは学生の頃から良く飲みながらできることを話してきたし、SETENVでもちょこちょこ仕事させて頂いてきたわけだけれども、この10年思ったほど変わらなかったなとは思う。それこそ、これっきりの企画や参加しているアーティストの皆さんの世代にとってはもっと仕事しやすい環境になっていればいいなと思って、地味な努力していたつもりなんですけどね。まあ、別に僕一人で何かできるようなほどの才能も、度胸もないので何言ってるのって感じではあるんですが。ただ、こういう真面目にアートと向き合う感覚自体久し振りだったので、関係者の皆々様には改めて御礼申し上げるのであります。