2014.02.24

京都で一日考えたこと

2月は本当にとんでもなくついてない月で、心身ともに心から疲れました。とはいえ、最近はKoSACの連絡が中心になってしまっていたので、たまには僕自身が日々感じていることも記しておかないとということで、京都出張について。都市と展示(アートには限らないので、anything exposed to the surface in the cityというニュアンスかな)についての出張で、初日はSocial KitchenHAPSでヒアリングを実施しました。下の写真は、今回研究のためにレクチャーを聴いておきたかったウイリアム・ケントリッジの展覧会場。

Social Kitchenの回り方への好意的な印象はすでに何度か文章でも取り上げているんだけれども、実際に足を伸ばせたのはかなり久し振りだった。前回行ったときと同じように、同志社の裏にヒッソリと佇んでいたのである。僕はこの手の話は全然専門ではないんだけれども、僕がSocial Kitchenのあり方に可能性を感じるのは、日本的なassociationの一つのモデルケースになるだろうと思っているから。一般に現在日本で「組合」というとすぐに労組を思い出すわけだけれども、柳田などを読めば分かるように、近代以前の入会地、農業用水の管理がある種のassociation的なかたちで運営されていたものが戦後水利組合などに変わっていったという意味では、組合は必ずしも労組に代表されるものではなくて、明治期にはまだ組合の可能態がいくつも残されていたと思う。これが戦後塗りつぶされてしまっているのかなあと雑な印象を持っている。その意味では、Social Kitchenの方向性は、そういう歴史と完全に切れてしまっている日本の僕らの世代が、grassrootでどうやって組合を取り戻せるかという一つの可能性なのかなあという点は今回よりはっきりと意識した。

それと同時に考えさせられたのはやっぱり僕は理屈っぽいということで・・・。特定秘密保護法案のデモについて、スタッフの一人と意見を交換していた際に、single issueでデモが企画されているのに、かの方への個人攻撃(とりわけかなり汚い言葉での)は僕はあまりいい気持ちがしないという話をしていたら、そこら辺は許してあげてもいいんじゃないのという。自分の意志をはっきりと表明する人の集団のなかには、気持ちが高ぶったり行き過ぎたりすることもあるわけで、それも含めてデモンストレーションを続ける習慣が成熟していくプロセスを受け入れてあげたらというニュアンスの反応に、ここら辺が対象を常に分析的に理解して、良い点悪い点を切り分けながら論じたい職業病をわずらっているんだなあと。ただ、こういう気づき得られることもまた、ヒアリングや調査をすることの具体的な研究内容以外の側面での成果だったりするわけで、今回もありがとうございました。のと、きちっと時間を割いてもらってSocial Kitchenに行くときは必ず俺ひどい風邪引いてる(苦笑)。

その後HAPSに向かって、そちらでもスタッフの方から話を聞いたのですが、こちらで思ったのは京都の都市のスケール感のこと。Social Kitchenでのアポイントより大分早めに京都につけたので、京都芸術センターを先にみて、その後のHAPSだったので思ったのですが、このコンパクトなサイズのなかに、あの規模(小学校サイズ)の展示施設を数カ所持てるというスケール感は東京にはないという実感。京都芸術センター、今回のケントリッジの展示会場、HAPSのスタジオは、それぞれ自転車で10分以内で移動できる距離で、コンパクトさからすれば昨年の愛知トリエンナーレよりも上手く行きそうな距離感なんですよね。東京でもArts Chiyodaはあるわけだけれども、単体では成功してもこのような廃校スペース自体で連携してゾーニングできるかというと、それは難しいなと個人的には感じました。

東京はやっぱり相当大きなスケールを持っているわけで、芸術文化的なゾーニングは廃校や家レベルでは視覚的なイメージを持ちづらいのだと思う。都現美や芸術劇場といった、ほんまもんの文化施設レベルで大きなゾーニングをしないと、意識できないなと。国立施設は国の管理なので、例えば今回の作品撤去要請問題で採り上げられた都美館は、表現の自由に抵触する個別の事例というよりは、東京における芸術文化のゾーニングを考えたときに果たしうる役割という観点で、公募団体への依存や公募団体展に限らず表現の自由を誰が誰に対して主張するのかという点を考えた方が良いんだろうなと。これは別に都美館内部の人だけが考えれば良い問題ではなく、少なくとも何らかのかたちで首都圏で芸術文化に関わる全てのひとびとに与えられた宿題だとは思いますけれども。

なんてことを、風邪にフラフラになりながらも京都で一日考えておったのでした。

«
»