ということで、サボっているのずっと気になっていて。実は何度も書こうと思っていたんですが、どうしても話が大きくなりすぎる気がして手がつけられなかったんですよね。日本は日本でまあ言わずもがななんですが、これだけ東アジア全体が、矛先の向けようのない不安と不満に満ちている時期って僕が物心ついてからは初めてで、何か書けないかなと思っては、まとまらなくて書くのを断念していたんです。僕は、心から大切な友人が韓国にも、台湾にも、タイにもいるので、いつもどこかで気になっています。とはいえ、そもそもここでの情報発信は、自分らしくを前提にしていたはずなので、今日は一人六本木アートナイトの記憶でも。
その①
『イメージの力』@国立新美術館
結構ギリギリで見てきた。僕は単純に展示物自体に興味持てるタイプだったのでそれなりに面白かったんですが、展示スペースに対しては完全に展示物多かったと思う。特に、ジックリ見るタイプの人は普通に考えて途中で力尽きるだろうなあと思った。内容面にまで踏み込んで書けるとすれば、それは民博での秋の展示を両方見てからなのかなあと。美術館という名前だけでそこに設置された展示物を美術品に変えてしまうスペースと、民博の展示では大分印象が変わると思う。民博の展示室を知っている来館者だと、同じ展示物でもあの明るいホワイトキューブで見る展示物は全く違う印象を受けるんではないだろうか。それと関連して、なぜ写真が撮影できないのかは気になった。恐らく最低でも半分ぐらいは著作権的にはクリアできるものではと感じながら見ていた。ただ、新美の展示室は天井高いんだなあということをトーテムポール見ながら再認識。
その②
『Go-Betweens』@森美術館
研究者ではなく一来館者としては1500円は少し高いかなと。前半はソーシャル・ドキュメンタリー的な視点が強くて、広報のフォントやトーンのイメージから事前に持っていた印象に対して説教臭い感じは否めなかった。後半は、作品によっては興味を持てるものは多かったかなあという印象。そもそも久し振りに土日に美術館に行ったのだが、対して平日と入りが変わらんのだなあと。閉幕間際だったので、むしろ新美の混みようにビックリした。森の感想では全くなくなっているけれども、新美で新鮮だなあと思ったのは、絵画を中心とした純粋な美術品に対して展示物の背景のコンテクストを知ろうとするモチベーションが高いなあと来館者を観察しながら思った。ホワイトキューブであるために文化人類学的な展示物が美術品に変わる一方で、その対象が純粋な美術作品ではないために、より来館者間で自由な解釈を戦わせている光景を頻繁に見ることができた。一組つきあい始めの大学生カップルと思しき2人がいて、しばらく同じペースで見ていたのでなんとなく話しが耳に入ってきたのだが「おれ梵字読めるんだ」って連れの女の子に自慢している男の子が可愛くてグッときた。男性はこのぐらい単純でないといけません。
その③
『女朋友、男朋友』@六本木シネマート
最終の回を鑑賞。初日だというのに雨も手伝ってかほとんど人は入っていなかった。純粋に恋愛映画としてみるとプロットは普通。ただ、それを補ってあまりあることが二点。一つは、同時代の若者目線で台湾の歴史を再構成できること。これは国共内戦から台湾へ、戒厳令、戒厳令解除、民主化運動を歴史の字面で追っているだけだと肌感覚では掴めない。二つ目にはとにかく桂綸鎂。好きすぎてたまらない。これだけ映画女優に恋したのは本当に久し振り。レオノール・シルヴェイラも好きだったが、なんだろうかこの恋しているとしかいいようのない彼女の素敵さは。元々王家衛世代なので、香港映画の王菲にも陳慧琳にもそれなりにときめいたが、その非ではない。梁朝偉の存在感で女性になったか、日本だと紺野まひるから影を抜いた感じだろうか。監督のヤン・ヤーチェは、日本では『藍色夏恋』の邦題で公開された映画では、易智言の助監督だったみたいだね、バイオグラフィー見ると。
ということで、月一回ぐらいはこういう生活しないとダメだよねと改めて思うのでした。