2015.12.31

さよなら2015

26日あたりから時間作っては最後に何かポストしておかなきゃと思っていたのだけれども、結局大晦日も夕方前になってしまった。一年を通して慌ただしかったのが、最終日まで続いくものだね。

今年一年を振り返ろうとして分かったことは、今まで一年を振り返れたのはそれなりに時間の余裕があったからだということ。恐らく、今後は今年のような生活が続くと思うので、むしろまとめて書くよりは日記に近いかたちでブログを作成していくのが良いのかもしれない。

それでも一年を振り返って思うのは、自分の身のまわりのそこそこの幸せと、主にメディアを通して見ている社会のそれなりにひどい不幸せのギャップだろう。例えば仕事で言うと、横浜国大の室井先生の発言に限らず、まあ国立を中心に人文社会系の大学の立ち位置は難しくなっているし、文科省が合格者の定員倍率のコントロールに入ったことでなおさら大学の生き残りが難しくなっている。もちろん少子化が進む以上、産業全体としては斜陽なのは間違いないのだが、基本的にビジネスとしてはどこの大学も生き残りをかけるので、結果的に人にしわ寄せがきている。財務的な側面から言うと、大学も含めた教育機関の一つの特徴は、予算に占める人件費の比率がかなり高いことであり、経営効率を求めると直接的にしわ寄せが人に来る。もちろん、私も含めて教職員は対応するわけだが、おそらく教職員個々人の疲労とかモチベーション(もう少しいうとどうせ頑張ってもまた次の改悪がという無力感という方が正確)の低下が、著しくサービス(つまり学生)に悪影響を与えるのが教育なんだろうと思う。

さらに言えば、そのしわよせは専任教職員だけではなく、大学運営をするうえで必須の人材である非常勤の教員にもより強くいっているわけで、全体としては相当不幸せだし、そもそも人口減少を誰もが知っている状態で、90年代に大学数自体も、大学院生自体も増やした政策的な目的が何だったのか改めて説明して欲しいとは思う。とはいえ、こう愚痴るのが目的なのではなくて、全体としては不幸でも、結局そこそこ現場は幸せになれてしまうというギャップが存在していることだ。僕はこの一年間郊外の割と小さな大学で、少し大人しめだけれども誠実な学生に囲まれて幸せだったし、知り合いと話をしていても現場は現場でそれなりの幸せが共有されているように見える。このギャップに戸惑う一年だった。

まずは、自分の身の回りの事例で話してみたけれども、それ以外にも同じギャップがいたるコンテクストで存在していた。もう一つ例を挙げれば、今年一番楽しかった仕事の一つが、夏に参加したInter-Asia Cultural Studies Society @ Surabayaだが、一定の間隔でこの学会に参加しながら感じるのは、僕の世代では着実に(もちろん問題をはらみながらも)相互理解が進んでいて、というよりは問題があるのは前提としても、建設的な議論を継続しながら、すでに共通で取り組めるテーマについては一緒に進んでいこうという感覚が共有されている点だ。恐らく今後継続していくなかで、研究者レベルでも葛藤や衝突はあると思うけれども、それでも同じ方向を向いている感覚はある。一方で、今回の日韓の件はあるにしても(しそもそも個人単位でなにか発言できるほど客観的な時間が経過していない)、今の自分の生まれた国がさほど海外に対して誇れるようには思えないし、日本を抜いたところでいたるところで相互理解を放棄するというよりは、相互理解への取り組みの努力それ自体を否定するかたちで悲しいとか言いようのない人命の喪失が続いている。この個人的にはきわめて良好な国際関係と、実際に起きている世界の残念な関係のギャップもどう付き合っていけばよいのか戸惑う。

ということであと3年たつと自分が不惑になるとは全く思えない1年であった。まあ、それでも素晴らしい家族、友人、研究仲間、同僚に恵まれていたからこそ完走できた1年(終わっていないけれどもあとは酒飲んで寝るだけである)だったと思う。毎年具体的な目標はほとんど立てないのだけれども、来年は自分の研究は今年よりは200%増しぐらいで進めたい。研究の停滞は本当に今年のフラストレーションだったので。あとは毎年同じで、自分らしく、たくさん読んで、たくさん話して、たくさん(はまずいか)お酒飲んで、好きなことだけ目いっぱい楽しむ1年にできればなと思う大晦日である。2015年も皆さんありがとうございました。

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