大学で仕事をしていると、3月は比較的流行りのテレワークで自宅で研究を中心にという教員も多いのではないかと(文系の一部だけでしょうが)思うのだが、どういうわけか、この2週間は毎日本務校も含め、外出して仕事をする案件が続いていた。そのなかで気づいたのは、最初の2週間の自粛要請があけると、早速電車が混雑し始めたということだ。今回のcovid-19禍を通じて、せめて働き方が変われば良いなと感じていたのだが、ある種の日本の同調圧力、もしくは日々の習慣とはかくも強いものかと複雑な気分になっている。
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僕は一般的な会社員としての生活は1年ぐらいしかないので、都心まで1時間以上の通勤を30年選手として経験されている方には頭は上がらないわけだけれども、週に何度か通勤電車を利用するたびに(比較的首都圏でも有名な混雑路線を乗り継ぐので)、明らかに我々は人生にとって大切な何かを日々失っていると感じる。
押し合い圧し合いのなかでの口論、被害にあわれる多くの女性や冤罪を恐れるおじさん両者に関わる痴漢の問題。そもそも、単純にcovid-19と関係なく、あれだけ混雑していれば何の感染症でも罹患リスクは高まるわけで。個々の案件は当事者間で解決をするしかないにしても、電車が空いて入れば全てその蓋然性が低下するのは明らかだ。口論を見て見ぬふりをする居心地の悪さ、私の場合には万が一にも間違われないように常に片手に書籍、片手に吊り皮のポジションを維持すること(そして感染リスクがあがる)、咳をしただけで集まる冷たい視線からくるストレス、これらは空いていれば経験しなくて良い話だし、多分こんな思いをしなくても良い地方も国も数多くある。
自粛要請が出た後は、メディアの報道を見ていても一定数のインタビューで、「意外となんとかなる」との発言は紹介されていたし、実際どうにかなった部分もあったのだろう。結果としてイライラする頻度が減って、同僚や家族とより精神的に豊かな時間を共有できたという経験をした人々は少なからずいたのではないだろうか(もちろん、実際に空間を共有して仕事をすることの重要性を否定しないし、僕はこんな記事を書きながらも、節目節目は直接会って話をすることへの脅迫観念は強い人間だと思っている。)だとすれば、そう思った僕らは、積極的にテレワークや時差勤務を継続するべきだし、声を上げ続けて働き方を変えていくべきだと思う。
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多分、政府主導では働き方なんて変わらないんだろうなと(政府でなくても良い。要は僕ら自身が下から変わろうと思わない限りという意図)。今回のフリーランスの休業手当の件もそうだが、厚労省の批判をするだけでは多分意味はない。自分ですら批判するだけに留まっている(つまり、厚労省の内側の人々がどういった思いを抱えて、どのような手続きを経て決断しているかへの想像力はあまりない)わけで、僕自身も含め全ての人間が想像力豊かなわけではない。正規の会社員や官僚が、ノマド・ワーカーやプロボノを肌感覚で理解するのは、思っているよりもずっと困難なことなのだと思う。
加えて、大した政治的リーダーも政党も持っていない我々としては(これは首相+与党を批判したいというより、これだけ長期で政権を担う個人と組織体で腐敗しない方がおかしい)、自分で変えるしかないんだと思う。仕事の仕方も、豊かな日々の過ごし方も。ということで、covid-19が収束していくことを願いながらも、その果実を想像できる人々が増加したいま、これも陳腐な言葉だけれども、「多様な働き方」を実現するための時計を進める機会にしても良い気がする。1つぐらいは災い転じて福となればと日々願っている。