昨日、現在少し話題になっている独立系の映画会社の元社員の文章を目にした。その会社のニュースに触れた時、僕自身はそんなものだろうと何の感情もなくただ受け入れた。それは、映画に無関心だからではなく、もう無感情ではないとしんどいからだ。僕が心底あきれ果て、絶望しているのはファインアートの業界だが、映画もアニメーションもその産業の固有の事情はあれ、似たような労働環境であろうことは想像できるからだ。「やりがい搾取」なんて表現はキャッチ―過ぎてバカバカしくて、要は働いている本人たちは気づいていないだけで、多分ただの地獄である。
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もしも本当に日本に芸術文化の火が灯るのなら、そんな労働環境で働いている人は週3日の非常勤学芸員であろうと、手取りが15万にすら到達しない映画館運営の館員であろうと、毎日何枚書いても一向に六畳一間から脱出できないアニメーターだとしても、恐らくそんな仕事はやめた方が良い。
学芸員になったり、ミニシアターで映画に携わるぐらいの知識に対する欲求があるとすれば、その関心の向きさえ変えればいくらでも安定した職業に就くチャンスはあるはず(あったはず)だ。あれだけ繊細な仕事を長期間にわたって続けることができる器用さと集中力があれば、恐らく他の職人仕事に鞍替えしても、少なくとも今よりは敬意も謝礼も「払われる」はずだ。
もちろん、その対象のことを心から愛していて、今更そんなことはできないと思う気持ちは察する(同じ人間ではない以上「理解できる」とは言えない)。ただ、本当にアートなり、映画なり、アニメなりを心から愛しているのだとすれば、辞めるべきだ。なぜなら、この環境で働く労働者がいる限り、日本のクリエイティブ産業の労働環境は変わらないし、その環境が仕方ないとあきらめて参入する若い世代が後を絶たないだろうからだ。
もしもそれで、これらの業界が日本で衰退したとしてもそれは仕方ない。変えようとしなかった日本のクリエイティブ産業の、そしてその環境を座視してきた我々消費者の自業自得だから。多分、この国では一度絶滅するぐらいの状態にならないと、いかに総論で「芸術文化を愛している」といったところで、社会的にいかに酷薄な態度しか示してこなかったのか気づかないのではないかと感じている。
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そしてもしも本当に日本に芸術文化の火が灯るのなら、僕たち芸術文化の享受に与るものは、今より500円でも1000円でも芸術文化に対して身銭を払うべきだ。今回のコロナ禍でも大勢としては、芸術文化の保護、財政的下支えを叫んだのは、芸術文化を享受する側ではなく、芸術文化を生み出す側だ。ただでさえ資金繰りが苦しく、保護のためのロビー活動どころか、自身の生活のためにアルバイトを必死で探さねばならない劇団員、若手のアーティストに僕たちはどれほど負担を押しつけるつもりなのか。
映画館で映画を見た時悩んだらパンフレットを買っているだろうか。高いからと館外で買った飲料を持ち込んでいないだろうか。展覧会を見た時、たった一枚でも気に入った絵葉書を購入しているだろうか。多少高くても、折角の非日常的な環境なのだからミュージアムカフェで食事をしているだろうか。もちろん、これらの消費活動が直接制作者の収入にまわるわけではないし、まわったとしても多寡が知れているという指摘は基本的には正しい。でも、一方で高額寄付者やコレクターよりもはるかに数が多い僕らのような普通の映画、美術愛好者が作り手を支えようと思わなければ、アメリカのような寄付税制もなく、フランスのように国家予算で支える気もない日本で芸術文化などこれから維持できるだろうか。
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つまり、もしも本当に日本に芸術文化の火が灯るのなら、芸術文化のコンテンツの生産者は声高に労働環境の向上を訴えるべきだし、無理なら愛するからこそこの業界から(できれば一時的であって欲しいが)身を引いた方が良い。日々の生活や個々人の生命より優先すべきものなどないわけだから。そして、芸術文化を享受する側も、恐らくこれからも短期間には変わらないし、払う側からすれば想像を絶する旧来からの非効率なお金を回す制度に何度もあきれ果てるとは思うが、それでも今よりももう少し多く好きな芸術分野で消費をすることを継続すべきだ。何も劇団のパトロンになったり、作品を定期的にコレクションすることだけが芸術文化を支えるのではない。こういった芸術文化関連領域市場のロングトレンドでの規模の拡大こそが、長い目で見れば民間の、そして公的な資本の流入のきっかけになるはずだ。
こんな偉そうなことを書いている僕も、普段心がけていることはせいぜい美術館一回の訪問でなるべく展覧会チケット込みで3000円使うということぐらいだ。実際には足が出ることも多く、ミュージアムカフェで飲むのは趣味になっている。演劇やクラシックのコンサートでも幕間、休憩時間にはワイン飲むし。つまり、大仰な言い回しにはなっているけど、この程度のことを勧めるための前振りがこのポストであるというのはご愛敬である。