いつ以来のポストなんだろうか。授業期間も終わり、ようやく少しずつまとまった時間が取れるようになってきたので、先日展覧会を訪れる機会が持てた。とりあえず、東近美でリヒターを見たのだけれども、そのあとずっとどこかで会期末が気になって仕方なかった写真史家の金子隆一さんの恵比寿の展示に足を伸ばした。
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リヒターで気づいたことは意外としょうもないことで、自分はリヒターファンだと思っていたが、実際には学部生ぐらいの頃に初台のWAKO WORKS OF ARTにかかっていた、きわめて小さいサイズのOil on Photoのシリーズだけが好きだったのかもしれないということ。普通は、同じ作家の平面作品であれば小さいものより大きいものの方が単純にサイズ感でより好きだなと感じることが多いのだけれども、リヒターは大きくなっても崇高さとか感じなかった。確認はしていないが、Instagram等にあがってそうなstripeの作品も、今回の企画展の巨大なサイズより、常設のミニチュア版の方がむしろ良かったわけで。ちなみに、この数年、なんとなく後ろに予定をいれていてしばらく東近美のコレクション展を見ていなかったのだけれども、今回は久しぶりに見られた。日本にいるからあまり見てもらえないのかもしれないが、東京であれば西美、東近美、都現美は海外の美術館と比べてもコレクション展は普通に遜色ないと思う。
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その後、金子さんのこれまでの業績を偲ぶ展示を恵比寿のナディッフまで見に行った。部屋自体はコンパクトなのだが、見ごたえがある展示。僕は一回だけ、つくば写真美術館関連の仕事で、彼の写真集のコレクションを実際に見に行って(明学の大久保先生と一緒に)、インタビューをさせてもらう機会があったのだけれども、その時の書籍と該当のページが会場で展示されているのを見て、「ああ、あの時とても楽しかったなあ」ということをしみじみ思い出した。
僕自身は若い頃からアートが好きで、20代の頃は現場も良く見たり、そのなかのプレイヤーに近い立場で仕事をしていたりもしていたのだけれども、肌感的にはアート関係者の半分ぐらいは僕は一緒に仕事したいとは思えなかったんだよなあ(これを公的に言ってしまうので、仕事は年を追うごとに減った)。そう思うと、写真の一番上の世代は、例外的に一人の人間として魅力的な人が多かったなということを帰り途で思い出していた。上述の通り金子隆一さんとは一度しかお仕事する機会はなかったわけだけれども、1時間以上話せば人柄なんていうものは滲み出るもので、仕事抜きでも色々とお話伺いたいなあと感じたし、今回の小さい方の展示室に展示されていた生前の写真を改めて拝見していても、紳士だよねえと。
同様に、大学院に戻る前後ぐらいのころ、1,2年ではあったけれどもツァイト・フォトの石原悦郎さんにもかわいがってもらって(かわいがるというよりは面白がっていたのだと思う)、何人か今を時めく写真作家を紹介して頂いたり、銀座で昼飯ご一緒したり、ご自宅に招いてもらったりと本当によくしてもらった。特に、都現美の田中一光の回顧展のレセプションに石原さんのアシスタント的な感じで連れて行っていただいたのは良い思い出で、現代美術のギャラリーのレセプションとはまた大分雰囲気が異なって(と当時の若い僕は思った)いて、強く日本のアート業界における作り手と買い手、もしくは生産者と消費者の間のある種の階層格差を感じたのを覚えている。もう少し言うと、もし自分が学芸員や美術史家等になれたとして、自分の書くものはここに集まる人の消費の対象にしかならず、作り手や「場としてのアート」に資するような仕事にはならないのだろうというある種の絶望を感じたを覚えている(まあ若いからナイーブ過ぎる)。これは本当に良いきっかけで、元々表象文化論的な関心があった僕がもう少し社会学的な対象としてアートを見るという方向に舵を切ったり、そもそもアートをあまり論じないようになんだんだろうなと今振り返ると思う。
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ということで、今の職場で仕事をするようになってからはご無沙汰のまま、石原さんも金子さんも旅立たれて、本当に改めて感謝したいなとナディッフからの帰りに思っていたのだった。今年は、池田修さんもコロナ禍に失っているし、90年代後半から2000年代にかけて、僕らが今享受できているような日本のコンテンポラリーのアートシーンの土台を作り上げてきた偉人たちが軒並み70代に入っていくなかで、今40代、50代の誰がそういった仕事を引き継いで行けるのかなとは改めて感じる。どの時期、どの立場で関わったかで好き嫌いもそれぞれ出てくるのだと思うけど、南条史生さん、加藤種男さん、野田邦弘さんあたりがその世代だし、モノを書かないのであまり知られていなくても、恐らく日本全国のアートNPOのファウンダーたちも、そろそろ世代交代をせざるを得ない時期に来ているのは確かだろうから。