ここのところ、すっかりブログの更新はさぼり気味。ブログの更新というか、夏期休暇明けてから全般的にソーシャルメディアを閲覧する時間自体大分減ってきた気がする今日この頃。まあ、その分仕事に集中できているわけで、決して悪い状態ではないんだろうな。ということで、金曜日の展覧会2点のお話。
ちょっとした打ち合わせがあったこともあり、金曜日は夕方からオペラシティ―へ。ICCの内覧会にご招待頂いたのですが、その前にオペラシティアートギャラリーの「考える服、感じる服」展へ。チラシの英訳を見ていたら、なんとなく2007年のベニス・ビエンナーレのタイトルから引用しているのかしらという感じはした。結論から言うと65点~70点ぐらいのイメージで悪くはないが、感動はしない。という展覧会。98年の「身体の夢」展から、首都圏で開催されている衣服系の展覧会の8割以上は見てきたが、この2,3年ではいい展覧会だったと思うけれども、美術展としてはさほどという感じ。誰が満足するのかが分からない展示だったと思う。つまり、日本で言えば川久保玲や山本耀司であったり、海外であればアントワープ系のようにある種言説の厚みとして作品化された衣服は展示として見えるし、だからこそあえてA-POCのようにプロダクトを全面に押し出すと美術展としては新鮮さを感じる。けれども、今回の展示に関しては新進作家ということで、ファッションに内在する言説の中でしか流通してきていないので、プロダクトにしか見えない。一方で、展覧会である以上デザイナーたちが意図して作品をイメージするので、見本市としても中途半端な印象を受けてしまう。結局のところ、美術批評家もバイヤーも不完全燃焼の展覧会なのではないだろうか。とはいえ、これがクリエイティブな領域のなかで、最も産業化が進んでいる衣服の展覧会の難しさなので、そのご苦労には共感を覚える。
もう一点、微妙だと思ったのは展示空間の腰ぐらいの高さの梁。美術展なのであれぐらいエッジがたってもいいのだという言い分はあろうが、高齢者や足腰に不自由のある来館者は来なくていいというメッセージなのかと軽い怒りを覚えた。空間の構成によって個々の衣服の作品性をaugmentするのであれば、本末転倒なのではないか?あと、個人的な志向として展示空間のパースペクティブを遮蔽するのはあまり好きではない。その意味では、ごく普通の空間とライティングだけだったけれども、昨年の京都での井上さんの作品展の方が展示の手法としては好ましく感じた。
何かいっぱしの美術評論家みたいな書き口になり不思議な気分。その後ICCへ。今年のオープンスペースへ。2階のスペースに掲示された年表作成のお手伝いをしました。関連書籍に『メディアの近代史』、『都市・情報・グローバル経済』をねじ込んだのは僕です(笑)。懐かしい顔や、新しい顔に久しぶりに会う。僕は美術史の研究の保守性と、美術展のレセプションに巣食う魔物たちを見て、メディア研究、社会学系の領域に舵を切った経緯があるので、レセプションはあまり好きではないのだが、たまに行く分には仕事としてもいいのかもなあと。昔の展覧会の仕事を手伝っていただいた方も元気そうで何より。皆さんに胸張って会えるように、また淡々と仕事をしようと思うのだった。今日はこれから横浜のレクチャーへ。