2011.06.26

今ミュージアム研究者がなすべきこと

連休明けから今までの2ヶ月は本当に忙しくて。自分で組んだスケジュールとはいえ、思った以上に個々の仕事にエネルギーを奪われてきたみたい。その前の2ヶ月はいかに、緊急時から平時へとリズムを戻すかのためだけに日々前向きに生きようと思っていただけだから、震災関連のこともほとんど僕自身は客観的に考えることなんてできていなかった。それは、お前の怠慢だと言われればそれまでだと思うけれども、被災地以外にもずっとあたかも平時だと思いこんで、無意識に無理をしながら生きているひとが数えきれないぐらいいるはずなんだ、この国には。

世間的には、僕は多分ミュージアムの研究者だと思われていて、で恐らくまあ自分が今後研究を続けていける環境を与えて頂けるとすれば、メインのフィールドにし続けることになるんだと思う。そして、この二か月ぐらい本当に自分でもびっくりするぐらい、ミュージアムのことについて書いたり、話したりしてきた。けれども、自分のなかで何を話してもしっくりこなかったのが、漸くしっくりくるかもと思いだしたことがある。

今通っている非常勤先の最初の授業で震災とミュージアムに関して話したのは、震災後の展覧会の中止騒動。単純に作品の移送拒否だけではなく、目黒の件だったり、震災中に法案成立したことで運用が困難になりそうな国家補償の運用制度の問題。そして、その後動き出したのは、『saveMLAK』を中心とした被災地域のミュージアムの復興運動。どこかで、ミュージアムの研究者がすべきことは、こういう問題なのかと感じていた。もちろん、これ自体、特に後者はきちっと考えるべき問題だし、今後のMLAK協同のきっかけになるかもしれない。そして、被災地のコレクションを救うために集まった他館からの善意は素晴らしいものだったと思う。

でも、僕が最近思うのは、ミュージアム研究者が今問われているのは、大量に失われつつある「個人の記憶」とどう向き合うかなのではないかという直観である。僕は原則論としては、近代以降に成立したミュージアムは、「ヒト」と「モノ」との関係性を西洋という地域と、近代という時代の制約の条件のもとで制度化されたものだと思っているので、時代や社会、地域の変化に応じて「ヒト」と「モノ」の関係性が変化すれば「ミュージアム」を維持する必要性はないんじゃないかと思っている。これは誤解されやすいんだが、モノの「収集」、「保存」、「展示」といった機能自体が不要なのだと言っているのではなくて、歴史的にはこれがバラバラになされていたこともあるのだから、この機能さえ社会で分担されれば、その統一性を要求するミュージアムにこだわる必要はないという意味である。

と少し横道にそれたが、このように「ヒト」と「モノ」の関係性のなかでミュージアムを考えていると、あくまでミュージアムの基礎は、個人のモノの集積。つまり、その人にしか分からない、愛情や執着の痕跡としてのコレクションなのだなと思う。それは、前近代の珍奇な収集癖としてだけ処理されるようなものではなくて、ヒトが生きていく以上なんらかの物質的な生きた痕跡を形成することがきわめて自然であり、ヒトが生きていく上での基本的な営みなように感じるのだ。つまり、これはミュージアム延命派、解体派両方にとっても同様に大切だと思うのだが、個人の記憶、及びその記憶への愛おしさが根本的には、ミュージアム(と呼ばれるものの)多様性を支えてきたし、その意味では変に社会的な重要性などといった大義を背負わされたミュージアムのコレクションこそが、ヒトがモノを集めるという基本的な営為においては異形なのではないかと。

だとすれば、少なくとも僕という個人のミュージアム研究者が関わるべきは、ミュージアムのコレクションをいかにサルベージするかという問題ではないんだと思う。ヒトが織りなす文化、そしてその物理的痕跡たる物質文化はいずれは失われるのだとすれば、これから伝えるべき今を生きている人々の記憶が凝集されたモノが大量に失われつつあることこそ自然の文明に対する挑戦である気がしてならない。恐らく、個人が記憶を紡いでいく経緯を粒さに描くこと、そしてこの死者の喪失ではなく、犠牲者を含んだ「生きていること」の記憶の喪失とどう向き合うかが、ミュージアム研究者として今取り組むべき課題なんだと思う。またミュージアムを研究するものとして、また一時期写真家を夢見た一人として、実践的には何とか濡れた写真や日記を復元する技術をもって被災地に入られている方を支援するような寄付をしたいと強く感じている。

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