2012.07.07

歳にまつわるエトセトラ

今日は意味も無く普段以上にエッセイテイスト。『現代思想』の宮本常一特集読みながら考え始めてしまった。半分自分史でもある。

まあ、プロフィールを見て頂ければ分かる通り僕は今三十三歳で、青春は既に遠く絶賛オッサン道に入りつつあるのだが、まあやりもやったりここまでに二十歳過ぎの頃にやりたいことは大体クリアできたなあと。元々僕は小学生から高校生ぐらいまでは、むしろ現在よりも強く将来の職業として研究者を考えていて、そのせいもあってか高校の最後の二年間は世界史を大学の教授に教わり、十八歳の時点(もしくは1995年の時点)で、基本的に斜陽産業であることは理解していたのである。

高校生の頃はブルクハルトが好きで、大学に入っても岩波のミシュレの『魔女』だったり、ブローデルの短い文章を読んだりと基本的には社会史だとか文化史に親和性があった。ところが、大学に入ると悪い仲間ができ、「(現代)アート」なるとっても悪い世界に導かれ(つうかファッションに関心を持って20471120の奇抜さから、なかのいい村上隆へという意味不明な関心の持ち方)、いわゆるアートマネージャー的なことに関心が移行することになる。一方で、アートが好きな人のなかでアートについて考える気持ち悪さも手伝い、学部では社会学を選択してみて、ちょっと院志望の皆さんとは上手くやっていけないのでは(というか東大社会学という空間であれば、まさに僕は落ちこぼれなので)という不安もあり、漠然とこの頃は20代のうちに「修士の学位」と「英語」をマスターしておきたいと思っていた。それは、純粋な研究者には不向きである実感が強くなり、ある分野の一定の知識を持つことを証明する学位と、精力的にコミュニケーションをとるうえでの英語があれば、まあ後々好きなことができるだろうと思ったわけ。まあ、こんなことを思ったりできたのも第一に家庭の理解なんだけれども、僕が大学入学時の学長だった蓮見せんせの「三〇までは好きなことやっとけ、後はなんとかなる」発言を50%ほど地で行ってたからなんだろうと。

気がつけば三〇を越え、相変わらずうだつの上がらないただのオッサンをしているわけだけれども、最近宮本常一関連の文章を読んでいて、「四〇(歳)までは遊べ。なんとかなるぞ。わしもそうじゃった」発言を見つけてしまったわけである。もちろん、蓮見せんせとも宮本常一とも僕自身を比較するようなおこがましい真似はしないのだが、まあ順風満帆ではないにしても、20代後半から好きなことやるための一定の経済的収入を得るようになるなかで、確かに好きなことやってても何とかなるんだなと思う瞬間もあったりする今日この頃。まあ、もうしばらく好きなこと本気でやってみようかなあと後押しされたというか。そのうえで僕の場合はきっと、寄り道が多いことが効いたんじゃないかなあと思うことも最近はしばしば。アートマネージャー「であろう」とか、社会学者「であろう」とか、写真家「であろう」とか、自分が何かであることにあまり関心がなくて、そのときそのとき目の前で自分が強い関心を持っていて、少なくともプロジェクト単位であれば投げ出さずやりとおせることをやってきたことが、とりあえず人生の40%ぐらいまできて振り返って、楽しい人生だなあと思えるところなんだろうなあと。多分僕は、次の10年で「人間五十までは好きなことやらにゃ損」というフレーズを見つけるのだろうなとも思っている。そして、次はきっと研究書ではない書籍から発見するに違いない。

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