2012.09.26

ファッション談義かつ鑑賞の秋 その2

ということで昨日のポストが思ったより反響あったのと、あんなことをボーッと考えてしまったので清澄遠いなあと思っていたのだけれども、都現美の「FUTURE BEAUTY」展に行って参りました。そのご報告をば。昨日よりは長くならない予定。

全体の印象で言うと久し振りにどちらかというとあたり。僕は1997年の「身体の夢」展からKCIの展覧会は全部見ているはずだし、それ以外でも基本的に首都圏でのファッション関係の展覧会は見ているはずなんだよね。去年の「感じる服 考える服」は「展覧会」としてはあまり評価できなかったので(まあ個人的に好きにはなれなかったのだけれども)、それに比べるとKCIが主催している安定感があったなあという印象。

僕は研究者としては展覧会について語る人ではなく、展覧会の理解のされ方について語る人なんだけれども、丁度『Artscape』に武庫川女子大の井上先生の展評が出ているので、原則その配分に合わせて感じていたことをダラダラと書こうかなと。最初の展示室は、僕の第一印象としては、夜にキャンドルの明かりで見たらものすごく綺麗なんだろうなあと。夜間開館で火を使うという日本では絶対に無理な展示だけれども、西海岸のコンテンポラリー系の美術館だったらレセプション当日ならあり得るなあと思って見ていた。関心したのは、あの暗い展示室のなかディテールまで綺麗にデッサンをとる学生、デザイナーが一定数いたこと。

第二展示室が僕にとってはメインイベントだったかなあと。井上さんも指摘しているけれども、鏡の配置は計算されていて良かったなと思う。関心したのはイッセイで、それもデザインの問題というより、プロダクトの流通まで考えた経営者としてのイッセイ。キャプション見ていた思ったのだけれども、イッセイの場合は、展示物の所蔵が、企業としての三宅デザイン事務所と公益財団法人とに分かれているんだよね。僕は、三宅一生と小野塚さんを初めとした弟子たちが帰属するA-netへの企業展開の過程を基本的に肯定的に見ているんだけれども、山本耀司や川久保玲に比較するとやはり、社会的な組織体としてのファッションのあり方に対して感性が鋭いと思う。雑駁な印象としては、90年代以降の(日本の)デザイナーは下地として三者が存在していて、マルジェラに代表されるようなアントワープスクールが評価されている時期以降に出ているので、基本的に作家性を大事にしている印象があって。それは逆に言えば、アートワールドならぬファッションワールドに自閉した文脈に閉じこもる慣性下に置かれやすい傾向にあると思う。その意味でも、イッセイ「社会」への開かれが意識されている点が好きなんだよね。消費財の服としてはギャルソンの方が好みだけれども。あと、美術館で見られる服としては、あの部屋では「アンリアレイジ」の服が出色だったかなあと思う。

その後は結構トライベンティとビューティ・ビーストの90年代後半のファッションショー映像に釘付けというか、三丁目の夕日を見る団塊の世代状態になってしまったという感じ。でも、せめて何カ所か触れる服があったら良かったなあと思う。服って絵画じゃないんで、テクスチャーとか素材とか一般の美術展示以上に気になってしまうからね。特に今日僕が訪問した印象だと、かなりの割合でこれからファッション業界を目指す(と思しき女子高生もいてほのぼのとした)学生さんの世代が多くて、しかも結構真面目にメモをとったり、ディテールのデッサンをしていたので、「触れる」ことに一定の意味があったと思う。これはやっぱり美術館の展示だからなんだろうね。多分、科学未来館でKCIが展示をする機会があれば、担当研究員の感覚もドラスティックに変わるんじゃないかな。キャプション何かにも書いてあったんだけれども、日本は素材開発でも一定の蓄積があるので、「コンテンポラリー」と「繊維産業」の観点から科学博物館で3年後ぐらいに展示をやってみるのは、KCIにとっても科学博物館にとってもいい気分転換になるのではないかなあという感じでありました。これにて二日に渡る呟きを終えようと思います。

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