2016.03.29

六本木道中

いや、いかんいかん。最近ブログを更新する頻度が猛烈に低下している。基本的には忙しくなったからだと思うのだけれども、忙しくても毎日更新している恩師筋の先生もいらっしゃるので、まあ怠慢。ということで、昨日は久しぶりに六本木ヒルズへ。

2週間ぐらい前から展覧会を見たいという気分にはなっていたのだけれども、3月半ばは結構展示替えも多くずっと我慢。週末に六本木クロッシングが始まったので早速見てきた。

展覧会としては十分楽しめた。1時間半は会場にいたので、僕にしては珍しく結構ビデオ作品を長々見ていたんだと思う。全体の印象としては、ハイコンテクストだなと思った。二つの意味でハイコンテクストで、一つはコンテンポラリー・アートのコンテクストが分からないと十分には楽しめないというのが一点。もう一つは、最初の点と関わるのだけれども、コンテンポラリー・アートが社会に関わっていなくてはならない(socially engaged)という点もこみで、現代社会で抱えるコンフリクトのコンテクストを理解していないとその作品の価値が十分に発揮されないという点。まあつまり、ジェンダーだったり、エスニシティだったり、米軍基地の問題だったりと、社会的マイノリティが抱える問題に対する感性や背景知識がどうしても動員されてしまう。一方で、美しいかどうかというと、そうでもないので―とはいっても私は美学者ではないので「美しい/美しくない」という僕の判断は、僕という一人の鑑賞者の判断でしかないけれども―、展覧会を一通り見ると「現代社会を理解する」展が終わったように感じる。繰り返すけれども、展覧会自体は楽しめる。とはいえ、そこで得る感覚は例えば昨年の「シンプルなかたち」展などに比べると、本の理解に近い。言い換えれば、『よく分かる現代社会学』みたいな入門書の読後感に近い。

一方でその下の階で開催されているフェルメールの展覧会。こちらの目玉はフェルメールとレンブラントなわけだけれども、実はこのフェルメールも美的価値を見出せるかというと、今回の作品は正直、さほどフェルメールのなかで好きな作品というわけでもなく、見た目の「目からウロコ」感はかなり低い。むしろ、作品としてひかれるのは17世紀に一時期流行したという教会建築の絵画群で、見た目からキュンキュンした。と同時に、やはり16世紀以降、とりわけプロテスタント強く市民階級が勃興するオランダ社会という、歴史社会的な背景からその作品を見ざるを得ないし、実際展覧会のメインストーリー自体もこの路線である。となると、実は美術の歴史などというのは、徹頭徹尾social practiceの歴史なのであって、時代精神に依拠した美的発展論みたいなものは毛ほども必要なく説明できてしまうのかもなあなどということを考えながら、夜の集まりへと向かった。まあでも、一緒に見ると大人でも3000円なので、コストパフォーマンスは悪くないよねえというヒルズの展覧会2本のレポート。

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